「あの人はもう中国にはいない。ベトナムに行ってしまった」

 「あの社長は上海とフィリピンを行ったり来たりしているようだ」

 「私は今、カンボジアで新規事業を仕込んでいるんだ。成功したら招待するよ」

 上海で日本の中小企業経営者たちが集い、近況報告と噂話をしている。最近のもっぱらの話題は「脱・中国」だ。機を見るに敏な経営者たちが「渡り鳥」となり、中国から生産地を移転させようと動いている。

 その背景には、中国ではもはや価格競争力の向上と維持が望めなくなったことがある。

 日本の工場の中国進出は、2005年を前後して大きな曲がり角を迎えた。「世界の工場」と注目された頃から数年で華東地区では賃金がどんどん上昇し、月給1000元も出さなければ労働者が確保できなくなったのだ。

 すでにその頃、縫製加工大手の小島衣料(本社:岐阜県)は、上海から吉林省への工場移転を画策していた。その移転先の最低賃金は月500元。700元も出せば労働者は喜んで働いてくれた。

 しかし、昨今では「中国での製造はもはや限界」との声が日増しに大きくなっている。現地の日本人経営者たちは、中国政府が最低賃金の引き上げを発表するたびに緊張を走らせる。2010年は全国的に24%の調整幅となり、「中国の労働力にはもう頼れない」というのが共通認識となった。

フォックスコンの賃上げが労働市場を狂わせた

 2010年、連続自殺事件を出した台湾系EMS(電子機器受託生産)工場のフォックスコン(富士康)の賃金引き上げが注目を集めた。同社は6月1日から、月額基本給を950元(約1万2350円)から1200元(約1万5600円)に約26%引き上げた。また10月にはさらに66%引き上げて2000元にした。上げ幅は2010年の1年で倍以上となった。

 同社はさらに2012年に入って、3度目の賃金引き上げを行った。正社員に採用する前の「試用期間」の3カ月間にわたる基本給を1550元とし、また試用期間終了後の基本給を1750元とした。そこに手当などをつけると、月収は2800~3600元に膨らむ。これはもはや大卒のホワイトカラー並みの月収だ。ちなみに2000年代前半、フォックスコンの月額基本給は500元程度に過ぎなかった。