先々週、時間を作って北京の三里屯界隈を3時間ほど歩いてみた。三里屯と言えば2000年から3年半ほど筆者が住んでいた所、当時から北京の最先端を行くおしゃれな街である。
爾来北京には毎年出かけているが、あの懐かしい横丁の小さな路地や裏道をゆっくり歩くのは実に久しぶりだった。
先週は過去10年間の共産党統治の変遷を取り上げたが、今回は一般庶民に焦点を当てたい。日中国交正常化30周年から40周年までの間、北京の人々の生活はどう変わったのか、変わらなかったのか。今回は最近の中国出張で個人的に見聞きした「庶民の北京」をご報告する。(文中敬称略)
三里屯の表通り
筆者が北京に着任した2000年、確かあの地域は「三里屯酒巴街(バー通り)」と呼ばれていた。
北京北東部の三環路(高速環状3号線)内にある何の変哲もない通りだが、1990年代後半から欧米風のしゃれたバーやレストラン、日本料理屋などが集まり始め、外国人が遊びに来る街として有名だった。
当時三里屯には外国文化に憧れる中国の若者が毎晩のようにたむろしていた。
愚かにも外国タバコを吸いながら高価なワインを飲む者、大胆にも初級英語で外国人との会話に挑戦する者、今から思えば微笑ましくも輝く若者文化の黎明期だった。当時三里屯で粋がっていた若者たちは今どこで何をしているだろう。
先々週訪れた三里屯の表通りは昔より垢抜けていた。
「一応英語だが綴りが間違っている」看板がご愛嬌だった粗末なライブハウス、公共住宅の敷地の一角を不法占拠していたイタリアレストランなどはほぼ一掃され、通りの入り口には「三里屯ヴィレッジ」という意味不明のショッピングモールができていた。
昔とは全くの別世界。アップルストアからユニクロまで世界のブランド店が軒を並べ、決して安くはないはずの高級商品が飛ぶように売れる。
人々の身形もきちんとして、およそ北京にいるという実感はわかない。あの何が起きるか分からないディープなエネルギーに満ちた三里屯の「輝き」は消えてしまったのか。