このところ、各国政府・企業のミャンマー詣でが続いている。

 1996年頃にヤンゴン駐在されていた日本企業の現地駐在員にとっては、その頃のデジャブ現象のような感覚で受け止められているかもしれない。

投資先として再び注目されるミャンマー

ミャンマーの旧首都、ヤンゴンの中心にそびえるスーレーパゴダ(筆者撮影)

 振り返れば、ミャンマー外国投資法(Myanmar Foreign Investment Law=SLORC Law No.10/1988=)が制定され、外資参入に対する基本的な法的枠組みが創出されたのは1988年のことだった。

 以降、1990年代中盤にかけて外国直接投資認可額は大幅な増加を見せた。

 特に96年は、東南アジア諸国連合(ASEAN)からの投資を中心として、前年95年の6億ドルから28億ドルに急増。この年、全日空の関西国際空港-ヤンゴン直行便も開通した。

 しかし、1997年以降、アジア通貨危機に伴うASEANの景気後退の中、先行投資的意味合いが強い対ミャンマー投資が見直され始め、外国投資受け入れ実績は低迷した。1997年の認可額は13億ドル、1998年は5億ドル、さらに、1999年には1億ドルと激減していった。

 日系企業の動向としては、2000年に味の素の工場閉鎖(3月)、全日空ヤンゴン直行便休止(3月)、トヨタ自動車の駐在員事務所閉鎖(5月)等の撤退が相次ぎ、さらに現地日系企業では深刻なビジネスリスクが顕在化し、新規投資の意欲は減退した。

 今回のブームは、約15年前のそれとは違って、持続するのだろうか。

 確かに、長く閉鎖されていた国が一躍、国際社会の表舞台に登場してきたので、エキサイティングではあることは間違いない。昨今の新聞・雑誌でも「ミャンマーが熱い」という表現で語られ、外国勢が高まる期待を胸に“投資競争の火ぶた”を切ろうとしているように見える。

後戻りできないミャンマーの政治改革

 「新政権の最重要の課題は、良い統治と汚職のない政府をつくるために共に働くことである。そのために、連邦政府、州・地域政府の仕事は透明で、説明責任を有し、憲法と法律に基づくものでなければならない。国民の声を尊重し、全ての国民が利益を享受できるようにしなければならない。政府の仕事は、迅速、かつ効果的でなければならない」

 これは、2011年3月31日に行われたテイン・セイン大統領の施政方針演説の一部だ。