Yes, “It” can happen again と答えるのが、当節の流行である。
経済学者ハイマン・ミンスキー(Hyman P. Minsky 1919-1996年)の名前は、母国米国よりも日本においてよく知られていた。正確には、忘れられることがなかった。
英フィナンシャル・タイムズ紙のマーティン・ウルフ(Martin Wolf)が、この半年ほどしばしばミンスキーの名に言及する。だからか米国や英国では、この頃になって再発見された気味合いだけれども、前から知っていたという人が日本には結構いるはずだ。
イタリア移民の詐欺師チャールズ・ポンジー(Charles A. Ponzi 1882-1949年)が大々的にやったねずみ講のことを、「ポンジー・スキーム(Ponzi Scheme)」といった。それが金融の熱狂における不可避の一段階だと、ミンスキーは書いていた。
そのことを、預言者の言葉でも見いだした如くに言挙げする一種の流行が、英語圏の論調にある。雑誌「ニューヨーカー」も何カ月か前、ミンスキーのことを書いていた。
日本のバブル絶頂期に邦訳が出た警世の書
日本の場合、ミンスキーに核心を突く言葉を見いだしたのは20年近く前にさかのぼる。ちょうど、日本自身が資産バブルの絶頂を迎えつつあった頃だ。
主著の1つを『金融不安定性の経済学』という。我がバブル経済が最後の絶頂を迎えた1989年12月、多賀出版という版元からこれが訳出刊行された時、 題名はいかにも警世の書という感じを与えた。書いてあるのはオレ(日本)のことかと、そう思って手に取った人は本欄読者の間にもいたことだろう。
CAN "IT" HAPPEN AGAIN? というのは、ミンスキーが単発論文を集めて1冊の書物とした時、巻頭に置いた論文のタイトルを選んで全体を代弁させたその書名である。短めの論文を編んだ本書はいくらか読みやすい。
これもちゃんと邦訳(岩佐代市訳、1988年日本経済評論社)があるのは日本のエライところだ。惜しむらくは値段が高すぎて誰も手が出せなかっただろうことと、『投資と金融・資本主義経済の不安定性』という題名が、原題に比べおよそパンチに欠けていたところか。
ここに言うITとはもちろん情報通信技術のITではなくて、“ツメチョン”で括っていることから察せられる通り、特別な「それ」、劇的経済現象を言い、大恐慌のことである。
金融市場の不安定が経済全体に及び、成長がストップする事態が、再び起きるかを問うている。ミンスキー自身はこの問いを投げたまま、1996年に物故した。
生前、第2次世界大戦後の経済における著しい達成とは、このITが起きなかったことだと言っていた。もし今生きていたら、冒頭のように言うだろう。 やっぱり、it can happen again だと。
英国系エコノミストには、米国の失速を10年以上予期し続けてきた一群の確信的悲観論者がいて、結構有力だった。まだ「フィリップス・アンド・ドリュー」と、古いマーチャント・バンクの名前を残していた頃のUBSで調査部門を率いていた、ビル・ マーティン(Bill Martin、現在ケンブリッジ大学ビジネスリサーチセンター)などである。