大津波への警鐘を鳴らせなかった新聞、当局の会見をひたすら流し続けるテレビ――東日本大震災の報道は既存メディアに対する失望を誘い、ジャーナリズムのあり方に大きな疑問を投げかけた。
米国では、広告料収入に依存せずに権力を厳しく監視する「非営利ジャーナリズム」が新たな潮流となりつつある。資産家などの寄付金によって運営されている非営利団体が、一流のジャーナリストを集め、徹底した調査報道を展開。その代表格である「プロパブリカ(ProPublica)」が2年連続でピューリツァー賞を受賞するなど、存在感を増している。
一方、日本でも非営利ジャーナリズムの扉が開かれようとしている。個人からの寄付をベースに、完全な第三者の立場で福島第一原子力発電所事故の調査・分析リポートの刊行を目指すFUKUSHIMAプロジェクトの編集部会長・西村吉雄氏と、読者から「投げ銭」を募り、取材活動を続けるフリージャーナリストの烏賀陽弘道氏に、日本のメディアの現状とこれからの可能性について語ってもらった。
情報の価値を受け手が決める時代
西村 福島第一原発事故については、政府の事故調査・検証委員会が6月に発足、年内にも中間報告をまとめることになっています。ただ、そこには政府の意向が反映されることが否定できません。一方、商業ベースの書籍も数多く出版されることになるでしょうが、そういったものには市場原理が働きます。FUKUSHIMAプロジェクトは、権力にも、広告主にも、本の売上げにも左右されることなく、完全な第三者の立場から事故を調査・分析し、そこから得られる教訓を後世に伝えたいという試みです。個人の方からの寄付が頼りです。
1942生まれ。1971年東京工業大学博士課程修了、工学博士。71年日経マグロヒル(現・日経BP)入社、「日経エレクトロニクス」編集長、日経BP社発行人、編集委員など歴任。東京大学大学院教授などを経て、現在は早稲田大学大学院ジャーナリズムコース客員教授、東京工大学長特別補佐。「FUKUSHIMAプロジェクト」では編集部会長を務める
(撮影:前田せいめい、以下同)
寄付金による出版は私のアイデアではありませんが、アメリカで寄付によって成り立つNPOジャーナリズムがそれなりの潮流になっていることには興味を持っていました。それはつまるところ、ジャーナリズムを回すお金の問題です。
アメリカのメディアは広告収入への依存度が非常に高いのですが、今、広告は構造的にネットに移っている。広告主が、どういう人が何人見ているというネットならではのデータを知ってしまったら、それが分からない元のメディアには戻らないでしょう。
このあたりの現象が日本でどう起こってくるかという問題意識があったせいか、いよいよ対外的に寄付を集めるための文章を書こうという時に、「このプロジェクトはNPOジャーナリズムの単行本版じゃないか」と気付いたんです。
烏賀陽さんがやっている「投げ銭」もひとつの刺激でしたし、思想家の内田樹さんや昨年亡くなった民俗学者の梅棹忠夫さんのことを思い出したりもしました。内田樹さんは、情報への対価は本来お礼として支払われるものだと考えればこそ、ご自分の著作物を全部公開しています。
梅棹忠夫さんは昔「情報の価値はお布施の原理で決まる」と書いていました。つまり、同じお経でもお坊さんと檀家の格で価値が変わるように、情報も受け手によって価格が変わるし、場合によってはタダでもいいということ。FUKUSHIMAプロジェクトは彼らの考え方にも通じるんですよね。