広島県府中市。県東部に位置する人口約4万5000人の内陸都市にある、“世界一の企業”。それが無線操縦のヘリコプターでトップシェアを誇るヒロボーです。

 もとは「広島紡績」という名の紡績会社でしたが、現社長の松坂敬太郎氏が先代社長の父から経営を引き継いだ後、業種を転換。倒産寸前だった企業を1代にして世界トップ企業へと導きました。その原動力は、何だったのでしょうか。

倒産寸前から世界一の企業へ

ヒロボー株式会社
〒726-8614
広島県府中市本山町530-214

 現社長の松坂氏が、病床の父から社長代行としてヒロボーの経営を託されたのは1972年、26歳の時でした。

 折しも円高や第1次石油ショックなどの影響を受け、紡績などの繊維産業は構造不況の真っ直中にあった時代。

 先代は本業の不振を補うため、サービス業への進出など多角化を試みましたが失敗してしまいます。

 倒産寸前の状況でしたが、「会社は父が命をかけてきたものだから、父の命を預かったようなもの。不安よりも “やってやるぞ” という気持ちの方が強かった」と松坂氏は当時を振り返ります。

 経営を引き継いだ後、資金繰りに奔走する日々が続く中で、松坂氏はプラスチック製品と電気部品の製造という2つの新事業をスタートさせました。

逆転の発想で世界一に

 2つの新事業は、いずれもメーカーの下請けですが、「下請けの良さは、親会社が技術や人材などの経営資源を提供してくれるところにあります」と松坂氏は言います。これらは経営の安定に大きく貢献しましたが、松坂氏はそれだけでは満足しませんでした。

 「社員に夢のある、面白い仕事をさせたい」

 そう考えた松坂氏は、社内に「世界一委員会」を結成し、世界一になれる事業のアイデアを募ったのです。

 様々なもの作りを模索する中で、松坂氏が最初に取り組もうとしたのがミニカーでした。松坂氏自身がミニカーのマニアで、良い物を見極める自信があったためです。