ロシア列車脱線事故、39人死亡 テロの可能性も

今年11月27日にロシアで起きた列車爆破事件〔AFPBB News

 ロシアで11月27日に発生した列車爆破事件については、本コラムでもすぐに取り上げられた。その後、12月2日、コーカサス首長国(The Caucasus Emirate)軍本部の名前で出された犯行声明がインターネット上に掲載された

 これによれば、この種の企ては今年初頭から計画され、春にはロシア本土への攻撃拡大の決定がなされたという。証拠となるビデオなど、この声明を裏づけるような資料は提出されておらず、真偽は現時点では必ずしも明らかではない。

 しかし、久しく報じられることがなかった北コーカサスの武装勢力が実行主体として浮上した。

 本欄の最後でも触れるように今年は第2次チェチェン戦争が始まってちょうど10年目に当たる。我が国の隣国ロシアの国内で行われていた凄惨な戦争の行方は日本では必ずしも大きな注目を集めてこなかったが、ここでは簡単にその流れを追ってみたい。

チェチェン独立運動から北コーカサスのイスラム国家樹立運動へ

チェチェン独立派最強硬派シャミル・バサエフ氏、殺害される - ロシア

殺害されたシャミル・バサエフ氏(写真はチェチェンのVedeno村での選挙運動中、老婦人を抱くバサエフ氏=1997年1月25日撮影)〔AFPBB News

 ソ連崩壊後、ロシア中央の政治状況とも相まって複雑な展開を見せたチェチェンの独立問題は、第1次チェチェン戦争(1994~96年)が事実上独立派の勝利に終わり、97年にはアスラン・マスハドフ氏が大統領に正式に選出された。

 しかし、チェチェン内外の混乱が続くと、就任したばかりのウラジミール・プーチン首相(後に大統領、現在再び首相)は99年に再び連邦軍を侵攻させ、凄惨な戦闘の後、チェチェンを実効支配下に組み込むことに成功した。

 2002年のモスクワ劇場占拠事件、2004年の飛行機爆破事件やベスランの学校占拠事件など、2000年代初頭には大きなテロ事件が相次いだ。

 しかし、2004年に独立派を率いたマスハドフ大統領が殺害され、2006年には最有力軍事指導者(ないしロシア当局からナンバーワンテロリストと名指しされていた)シャミル・バサエフ氏も死亡した。