前回コラム『南京30万人虐殺問題を考える――日中「戦争対話」は可能か?』において、私は「中国人の南京観」をこう総括した。
「中国の人はとにかく『南京30万』にこだわる。家庭内で、学校でそう教えられてきた。さもなければ『政治的に不合格』になり、中国では生きられくなってしまう。中国人にとって、歴史認識とは『保身』の意味も含んでいるのである」と。
歴史観とは向き合うものではなく、今をどう生き抜くかの起点
中国人にとって、南京や自国史(例えば文化大革命、天安門事件)を含めた「歴史観」とは、歴史にどう向き合うかではなく、今をどう生き抜くかという起点である。この背景を理解せずして、我々日本人は、歴史認識を巡って、中国人とまともにコミュニケーションを取ることはできないだろう。
その中国人の歴史認識が、少しずつ変わってきたと感じている。「政治的合格性」という覆しようのない現実的束縛を前に、少しでも健全・持続可能な歴史観を構築しようと、懸命に努力をしている人たちがいる。
ここでは、最近私が体験した2つのエピソードを交えながら考えてみたい。
今年4月22日、中国の若手映画監督陸川氏(38)による『南京!南京!(City of Life and Death)』(以下、略称《南京》)が全国で上映された。《南京》は、旧日本軍による南京軍民に対する残酷行為を再現したものである。
虐殺、レイプの連続の一方で、人間味ある日本兵の姿を描く
虐殺、レイプなど、生々しいシーンが次々に登場する。これを観た多くの中国人が「日本人とはなんて残虐なんだ。永遠に忘れない」といった印象を抱いたようである。筆者も映画館へと足を運んだが、周りの観衆の多くが涙を流していた。観ていられず、途中で席を後にする人もいた。
残虐さだけが目玉ではなかった。《南京》の主演の1人、日本兵幹部角川(中泉英雄)は、「悪魔」としてではなく「人間」として、戦場における殺し屋としてだけではなく、人情と脆さを持つひとりの若者として描かれていた。
角川は同じ人間である中国人を殺したくはなかった。当時戦場へと赴いた多くの日本兵の心情を反映していたのではないか。角川はクライマックスのシーンで、信頼できる部下を1人連れ、人影のない草むらへとやってきた。