筆者は中朝国境を行く旅の途中で、何人かの脱北者と遭遇した。前回コラムでは白いシャツを着た少女が脱北する瞬間を紹介した。国境ブローカーによってキリスト教会で保護されている中年女性にも出会った。

医師になっても月給で米1キロが買えない

 北朝鮮、一部で6月半ばに食糧枯渇か 米支援団体

平壌の食料品店に並ぶ女性たち〔AFPBB News

 中でも筆者に鮮明な印象を残したのは、元産婦人科の医者で、その後密輸管理人として力を発揮し、最終的に脱北したという異例の中年女性である。

 気温が40度はあるんじゃないかというくらい暑い日だった。筆者はある国境ブローカーの紹介で、延吉市内の茶館でこの女性と語り合った(以下「女性」)。

 1966年生まれの45歳。平壌出身だ。少し太っている。中国語は話せない。北朝鮮時代における産婦人科医暦は22年以上に及ぶ。大卒という学歴を持っている。

 医者になった当時の月収は1600朝鮮ドル(お米1キロも買えないレベル)。20年間患者を診続けたが、4300朝鮮ドルにアップしたにすぎなかった。

 「やり切れない思いだった。医者をやっているだけではお金にならないと思った。純粋にお金を稼ぎたかった。そんな思いで、まずは合法的に中国側と貿易を始めた」。女性は冷静な面持ちで語った。

まずは合法貿易、次第に密輸へ

 しかし、合法的なやり方ではなかなかお金にならないことに気づく。弊害も多い。中朝関係が悪化すれば両国間の経済的な往来は大幅に制限されてしまう。

 松茸や魚介類を含め、高額な関税がかかる傾向にあり、しかも不安定だ。モノによっては、突如輸出や輸入ができなくなるケースもある。松茸はその典型であった。

 痺れを切らした女性は、徐々に合法から違法にシフトし始める。最初は両者をミックスさせて2年くらい続けていた。その後は、合法的貿易からは手を引き、医者を辞めて3年後には、正真正銘の「密輸管理人」となった。