山東京伝『箱入娘面屋人魚 3巻』(部分)より「版元 蔦唐丸」として口上を述べている様子 出典:国立国会図書館デジタルコレクション

 歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。そのなかには、有能なリーダーもいれば、そうではない者もいました。彼らはなぜ成功あるいは失敗したのか?また、リーダーシップの秘訣とは何か?そういったことを日本史上の人物を事例にして考えていきたいと思います

吉原の生まれ

 2025年のNHK大河ドラマは『べらぼう』であり、江戸時代後期の出版業者・蔦屋重三郎が主人公です。重三郎を演じるのは俳優の横浜流星さんで、熱演が話題となっています。

 それにしても蔦屋重三郎と言ってもどのような人物かよく分からないという方が大半だと思いますので、ここでは重三郎の生涯とその人物像に迫っていきます。出版社の社長と言うべき重三郎から、我々は何を学ぶことができるのでしょうか。

 重三郎は寛延3年(1750)に生まれました。重三郎が生まれた翌年には、8代将軍だった徳川吉宗が66歳で病没しています。重三郎の父は丸山重助と言い、尾張国(愛知県西部)の出身でしたが、江戸に出てきて吉原で働いていました。重助は江戸で広瀬津与という女性と出会います。重助と結ばれた津与は、重三郎を産むことになるのです。ちなみに重三郎は吉原の生まれです。

 重三郎が7歳の時、両親が離婚。重三郎は蔦屋(喜多川氏)に養子に出されます。喜多川氏がどのような人物か不明と言われていますが、一説には吉原の茶屋(客に遊興・飲食をさせる店)の経営者(蔦屋利兵衛や蔦屋理右衛門)ではないかともされます。養子に出されてから長い間、重三郎の消息は不明です。

 重三郎の名前を最初に確認できる資料は、安永3年(1774)に刊行された『細見嗚呼御江戸』だとされます。同書は江戸の大手版元・鱗形屋孫兵衛から刊行された『吉原細見』(吉原遊郭の総合情報誌)であり、その刊記(奥付)に「此細見改おろし、小売取次仕候、新吉原五十間道左りかわ蔦屋重三郎」とあるのです。

 その頃、重三郎は吉原細見『細見嗚呼御江戸』の「改め」(取材・編集作業)や「おろし」(卸)の仕事に携わっていたのでした。どのような経緯かは不明ですが、重三郎は書籍にまつわる仕事に就いていたのです。

 ちなみに『細見嗚呼御江戸』の序文を書いた人物は平賀源内。源内に序文を書かせたのは、重三郎ではないかと言われています。蘭学者・本草学者・戯作者と多彩な活動をする有名人・源内に序文を書いて貰えば『吉原細見』が売れるのではないかと踏んだのでしょう。