右がシェフのモンロイ氏。タコスとチュロスの立ち飲み店も展開し、食通の大阪人に愛されている

タコスの美味しいレストランから、イノベーティブメキシカンへの転向

 かくも独創的な料理をつくるメキシコ人シェフ、モンロイ氏は、23歳で来日して飲食の世界で経験を積み、2016年に大阪でメキシコ料理店「覇王樹 (サボテン)」をオープンした。本格的なタコスやナチョスは好評だったが「メキシコ料理は、それだけじゃない」という思いも抱き続けていた。

 転機となったのは2023年、イノベーティブレストランの代名詞Nomaの京都でのポップアップで、厨房で働いた経験だった。Nomaのシェフ、レネ・レゼピも、イノベーティブな現代メキシコ料理を提供するという彼の夢に、背中を押してくれた。10年近く愛されてきた「覇王樹」を閉めて、同じ場所にMilpaが開店したのは、早くも次の年だ。

Milpaの店内は、サボテンが飾られた、くつろいだ雰囲気

「確かに、レストランのあらゆる側面に影響を与える大きな変革でした。厨房スタッフには、技術だけでなく、新しい考え方と食材やストーリーテリングに関する、より深い知識が必要でした」とモンロイ氏。

 客のマインドを変えることも、ハードルが高そうだ。多くの日本人のメキシコ料理のイメージは、チーズたっぷりのタコスやナチョス。90年代に日本に紹介されたテックスメックス=アメリカナイズされたスナックのままだ。

世界遺産にして最先端。ガストロノミー界を騒がせるメキシコ料理の現在

 オルメカ、マヤ、アステカなどの古代文明を誇るメキシコ。2010年に、その食文化はユネスコの世界無形文化遺産に登録された。トウモロコシ、豆、芋類などの野菜、中でも8000年前から食べられているチリ(Chiles唐辛子)は在来種だけで64種類を数える。

料理に使う唐辛子とスパイス
そしてトウモロコシ。素材は直接輸入するか、ないものは日本の食材を代用

 食材の豊かさは、16世紀に始まるスペイン支配によるヨーロッパとの交流で独特の料理を生む。1980年代の現代メキシコ料理運動をきっかけに、料理人たちは伝統と改革に目覚め、それがイノベーティブ料理のトレンドに連なった。ミシュラン二つ星、世界のベストレストラン50の3位に輝いたQuintonilを筆頭に、メキシコには世界の食通が注目するレストランが続々、登場した。この日Milpaでコラボレーションしたヘスス・デュロン氏はそんな1軒、「プジョル」(ミシュラン2つ星)のエグゼクティブシェフを務めていた。

旬の魚介と食材を、多様なソースとスパイスを駆使して、未知の味に

 メキシコ料理の複雑な魅力が凝縮されるのが、ソースだ。ご存知「サルサ」だけでない。野菜、ハーブやスパイスと混ぜてすりつぶしたソース「モレ」をはじめ、膨大なバリエーションがある。コース後半では、そんな伝統的なソースを堪能した。

野菜とスパイス、青シソを使った緑のソースが「モレ」。入手できない食材を岐阜特産の朴葉で代用。食材リサーチ力に感服だ

 緑のタマル=タマル・モレ・ヴェルデのソースは、その名の通り鮮やかな緑。タマルはメキシコの伝統的な蒸し料理で、ここではトウモロコシの粉とピント豆を混ぜたものをキャベツの葉で包んだ。現地ではオハサンタという植物の葉を使うが、焼いて香りをつけた朴葉で代用した。メキシコの植物と朴葉が似ていることを、どうやって知ったのか? 日本の食材への理解に驚いた。

魚の出汁で作るソース、チルパチョレ。ソースそのものも味わい深い

 チルパチョレはシーフードのソース。ドライチリとトマトのスモーキーな香りが、みりんに漬け込んでグリルしたキンキ(カサゴ)の、身の甘さを引き立てている。

 メキシコのソースの中でもエキゾチックなのが、エンモラーダと呼ばれる料理に使う、カカオのソース。スパイスの香る「甘辛チョコ味」には驚くが、鴨肉を包んだトルティーヤと濃厚なコンビだ。

カカオは、メキシコで紀元前2000年から栽培されていた。エンモラーダはオアハカに伝わる料理
世界の料理から影響も吸収する。パイナップルとスパイスでマリネした豚肉料理アルパストールは中東の影響を受けた豚肉料理
デザートは揚げたての小さなチュロス

「イノベーションは、アイデンティと繋がって初めて意味がある」

 メキシカンレストランへのミシュランの星は、長らく「未だタコス」だった日本へのウェイクアップコールだ。日本の食べ手にとっては、日本料理の価値の再発見と、世界レベルでの現代の食の進化の両方に学びがある。モンロイ氏の料理は、馴染みのある日本の食材を使って、メキシコで起きているイノベーティブメキシカンの熱気へと橋渡ししてくれる。メキシコ、日本、伝統、現代の調和という唯一無二の料理を追求するモンロイ氏にとって、革新とはなんだろう?

「新しい技術やプレゼンテーションでゲストを驚かせる料理を作りたいのですが、『この革新はメキシコの伝統や物語を語るのに役立つのか、それともイノベーションのためのイノベーションか?』と自問しています。料理にアイデアを盛り込みすぎないように。イノベーションはアイデンティティとつながって初めて、初めて意味があります」

Milpa自家製のトウモロコシの味噌。日本生まれのメキシコの新しいソース文化だ

 店名のMilpaは、メキシコと南〜中央アメリカ地域で数千年にわたって実践されてきた農法のこと。トウモロコシ、豆、カボチャ類を混作することで、持続可能な土壌を保つ知恵だ。ここには自然との調和を重視するメキシコの世界観がある。

「最終的に、バランスは敬意から生まれると思います。伝統への敬意、食材への敬意、そして各ゲストに提供したい体験への敬意が、バランスを産みます」。

 メキシコと日本。膨大な食のリソースを持つふたつの料理の融合。その秘訣と可能性を、モンロイ氏は古代農法からも学んでいる。