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 多角化した経営は評価されにくく、誤解されやすい──だが本当に、コングロマリットは企業価値を損ねるだけなのか? むしろその戦略にこそ、日本経済が沈まないためのヒントがあるのではないか。企業再生の専門家が著した『経営者のための正しい多角化論』(松岡真宏著/日本経済新聞出版)より内容の一部を抜粋・再編集。

 かつてハードからソフトへ事業の軸足を移したソニー。なぜ当時多くの経済人、知識人は変革の意図を見誤ったのか?

ソニー――ハードからソフトへの脱却

経営者のための正しい多角化論』(日本経済新聞出版)

■ 司馬遼太郎が見誤ったもの

 出井は1995~2005年の10年間、ソニーのトップを務め、ハード中心からソフトへの大転換の旗振り役となった。

 当時を振り返ると、ハードからの脱却を目指す出井に対する世間の反応は芳しくなかった。モノづくりを忘れたソニーというレッテルを貼られ、ポートフォリオの入れ替えという大手術が必ずしも正しく評価されなかったと想起される。

 出井が社長を退任した4年後、経済学者である野口悠紀雄は、「週刊東洋経済」の2009年8月15日号に「変貌とげた世界経済 変われなかったニッポン」という興味深い寄稿をしている。寄稿の中で批判の対象となったのは、日本の多くのビジネスパーソンが愛してやまない司馬遼太郎だった。

 司馬の観察眼の誤り。これこそが出井が行った、ソニーのポートフォリオの入れ替えに対する低評価の底流にあると筆者も推測する。少し長い引用だが、紹介する。

 貿易摩擦は70年代の繊維製品に始まり、特に80年代において顕著に生じた。鉄鋼、電子電気機器、自動車などの分野で、日本の対米輸出が増大し、日本製品がアメリカ市場を制覇していった。その結果、製造業分野においてアメリカ企業が縮小を余儀なくされた。これは「日本の勝利・アメリカの敗退」と日本人の目には映った。このような捉え方は、司馬遼太郎『街道をゆく』のアメリカ編(編注・原文ママ)において典型的に見られる。彼は東海岸の伝統的な都市であるボルティモアやシカゴの90年代の姿を見て、アメリカ経済が没落したと述べている。しかし彼が見たのは、実は古いアメリカの象徴だったのだ。