八尋俊邦氏(1982年4月撮影、写真:共同通信社)
三井物産で社長・会長を務めた八尋俊邦氏は、その任期のほぼ全てをイラン・ジャパン石油化学(IJPC)という失敗プロジェクトの“敗戦処理”に費やした。不遇の経営者と見ることもできるが、実はその経験が、その後の八尋氏の人生を豊かなものにした。八尋氏の塞翁が馬的な生きざまとはいかなるものだったのか。
>>前編:1970年代に三井物産が社運を賭けたイラン油田開発プロジェクト、その“敗戦処理”を託された八尋俊邦の経営者人生
「ネアカのびのびへこたれず」の精神で
「ネアカのびのびへこたれず」という言葉がある。どんな状況にあっても明るく前向きな姿勢で挑戦を続けるという意味で、これを座右の銘とする経営者も多い。
その一人が以前、当連載シリーズでも取り上げたダイエー創業者の中内功氏。ただし中内氏は過酷な戦争経験のためか、猜疑心が強く、「ネアカ」の持つイメージとはかけ離れていた。だからこそ、「こうありたい」という願いを込めて座右の銘としたのかもしれない。
もう一人、この言葉を好んで使っていたのが、三井物産で社長・会長を務めた八尋俊邦氏だ。八尋氏は中内氏と違って典型的な陽性人間。この言葉を体現するために生まれたかのような経営者だった。






