許昌にある曹操像 Morio, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?
独立独歩の人に見える曹操にいた、二人の師とは誰なのか
三国志の中で、高い軍事指揮の能力を発揮した人物といえば曹操が思い浮かびますが、曹操は自ら秀でた人物=独立独歩の人というイメージがあります。曹操は155年に生まれますが、後漢帝国は宦官と外戚、士人の権力争いで混乱を極めていました。
この後漢帝国崩壊の混乱を収めていくのが、のちに魏王となる曹操です。三国志演義を読んでも、曹操は誰かに「依存することがない」冷徹な人物として描かれている印象があります。
人におもねらず、人に頼らない。自らも物事を考え判断し、決断を下す。王佐の才と言われた名士の荀彧も、曹操は最後には必要としなくなったように、特定の誰かに依存しない。そんな曹操にも、師と仰ぐ人物がいたとすれば意外に感じる方もいるかもしれません。
三国志関連の著作で有名な渡邉義浩氏は、曹操の師は橋玄だったと指摘しています。橋玄は後漢の政治家であり、異民族との戦闘では軍事指揮官としても功績を残した人物です。
『橋玄は、若き日の曹操の最大の理解者、そして庇護者であった。それだけではない。橋玄は曹操の理想でもあった(中略)。橋玄は、曹操へ期待をかけ、曹操もそれに応えて、「入りては相、出でては将」(*1)と成り得る政治家を目指した』(書籍『「三国志」の政治と思想』講談社)
橋玄は法律を厳密に適用した政治・行政を行い、権力者でもおもねることをしませんでした。このような法に厳密な行政官としての姿勢は、若き曹操にも引き継がれていきます。






