生涯に400点以上の作品を描いたとも考えられているラ・トゥール。現存する作品は少なく、さらに署名や制作年が記されている作品もごくわずかなため、作品には多くの謎が残っています。
文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)
《荒野の洗礼者ヨハネ》油彩・カンヴァス 81×101cm ヴィック=シュル=セイユ、県立ジョルジュ・ド・ラ・トゥール美術館
影響を受けた画家と制作年の謎
ラ・トゥールは明暗表現においてよくカラヴァッジョの影響を指摘されます。カラヴァッジョは強烈な明暗対比で劇的に、またダイナミックに臨場感を表現しました。これに対してラ・トゥールの明暗対比は、生々しさを生まず、不要なものは闇が覆い隠し、光は本質だけを照らし出しました。
また、同じ洗礼者ヨハネを描いた作品を比べてみると、羊や手に持っている十字架の杖、そして物思いに沈んでいる姿という共通点はあります。しかし、カラヴァッジョの《洗礼者ヨハネ》(1604-1605年頃)は、筋肉質の堂々とした肉体、強烈な明暗効果というカラヴァッジョらしい表現を用いています。
一方、ラ・トゥールの最晩年の作とされる《荒野の洗礼者ヨハネ》は、光源もなく、静寂に包まれた「夜の情景」です。このような違いがあってもラ・トゥールがカラヴァッジョの影響を受けたことは間違いありません。どうやってその影響を受けたかについては、以下のように諸説あります。
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《洗礼者ヨハネ》1604-1605年頃 油彩・カンヴァス 172.7×132 cm カンザスシティ、ネルソン・アトキンス美術館
ラ・トゥールは消息がわかっていない1610〜16年まで、ローマにいたという見方があり、ここでオランダ人画家ヘラルト・ファン・ホントホルストなどカラヴァッジョ派の絵に触れ、画風を形成した可能性もあります。ホントホルストは故郷ユトレヒトに戻って活躍したことから、ラ・トゥールもユトレヒトを訪れたという説もあります。
ヘラルト・ファン・ホントホルスト《放蕩息子》1623年 油彩・カンヴァス 125×157cm ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク
また、フランスのナンシーの画家ジャン・ル・クレール(1585頃〜1633年)がイタリアに滞在したのち故郷に帰り、カラヴァッジョ様式を広めたことから、ロレーヌでカラヴァッジョ様式を学んだのかもしれません。
ジャン・ル・クレール《夜のコンサート》油彩・カンヴァス 137.2×170cm ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク
そしてラ・トゥールが得意とした夜景画の影響については、ロウソクに灯された人物画を得意としたフランスの画家トロフィム・ビゴの影響を受けたという見方や、夜景画を残しているナンシー出身の画家ジャック・ベランジェ(1575頃〜1609年)に入門していたという説もあり、これらについても謎のままです。
ラ・トゥールは生涯において400点以上の作品を描いたと推測されますが、1638年のフランス軍によるリュネヴィルの略奪と放火火災で、その多くが失われました。現存する作品で署名と制作年が書かれているのはクリーヴランド美術館の《聖ペテロの悔悟(聖ペテロの涙)》(1645年)、ナント美術館の《聖ペテロの否認》(1650年)しかありません。ウクライナのリヴォフ美術館の《金の支払い》にも署名と年記がありますが、年記の判読ができません。
また、ルーヴル美術館の《羊飼いの礼拝》(1644年)と《聖女に介抱される聖セバスティアヌス(松明のある聖セバスティアヌス)》(1649年)、2点の模写によって知られる《聖アレクシウス》(1648年・現存せず)という、ラ・フェルテ元帥に献呈された3作は、1653年に作成された財産目録と古文書を照合した結果、制作年がわかりました。これら以外の正確な制作年はわかっていません。
ちなみに署名だけある現存作品は、ブリュッセル王立美術館の《ヴィエル弾き》(《楽師たちの集い》の断片?)、ディジョンの市立立美術館の《ランプを灯す少年》、エピナルの県立古代・現代美術館の《妻に嘲弄されるヨブ》、カウンティ・ミュージアムの《ゆれる炎のあるマグダラのマリア》、ナントの市立美術館の《聖ヨセフの夢(聖ヨセフの前に現れる天使)》、メトロポリタン美術館の《女占い師》、ルーヴル美術館の《ダイヤのエースを持ついかさま師》《灯火の前のマグダラのマリア》《槍を持つ聖トマス》です。
