ルネサンス三巨匠のひとりに挙げられながら、すでに紹介したレオナルド、ミケランジェロに比べると、日本では存在感が薄いラファエロ。実はルネサンスといえばラファエロというほど、美術史では称揚される大芸術家でした。
文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美)
後世の画家の模範はラファエロ
日本でよくイタリアンレストランやポストカードなどで見る機会が多いふたりの天使は、ラファエロ・サンツィオの《サン・シストの聖母(システィーナの聖母)》(1513年頃)の下部に描かれているものです。愛らしい天使だけが有名になってしまい、画家のラファエロは、日本では意外に知られていないようです。
しかし、17世紀のフランスの美術界では、すべての面において優れ、総合的にレベルが高いと、レオナルドやミケランジェロよりも評価されていました。とくに18世紀末から19世紀前半にかけて活躍し、新古典主義を牽引したフランスアカデミーの重鎮ドミニク・アングル(1780-1867年)は、ラファエロを敬愛し、讃えます。
新古典主義はギリシャ・ローマの古典様式と、その復活を目ざしたルネサンス美術を理想とするヨーロッパで興った美術運動です。その理想形とされたのがラファエロの作品でした。例えば人物なら、整った輪郭に整った肉体、まったく筆跡を残さないような肌、といったラファエロの表現を規範としました。アングルの作品にはいくつか、その影響が色濃く見えるものがあります。たとえば《ルイ13世の誓願》(1824年)は、あきらかに《サン・シストの聖母》との類似点が多くあります。
新古典主義に対抗して出てくるのがドラクロワを代表とするロマン主義です。アングルとドラクロワはフランスアカデミーにおいて、バチバチ火花を散らします。絵画においてはデッサンが大切と言うアングルに対してドラクロワは色が大切と言い、ラファエロではなくミケランジェロを評価するといったように、新古典主義に反発しました。
ラファエロを規範とする新古典主義に反発したもうひとつの動きが1848年に結成された「ラファエル前派」という若い芸術家のグループです。ウィリアム・ホルマン・ハント、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ジョン・エバレット・ミレイらを中心とするラファエル前派は、ラファエロ(英語名ラファエル)以降のアカデミックな芸術規範を批判し、ラファエロ以前の芸術に戻ろうという理念を掲げました。
レオナルドやミケランジェロのようにとんがったところがなく、37歳という若さでこの世を去ったため、日本人には馴染みが薄いかもしれません。しかし、美術史ではよく1520年をルネサンスが終わり、マニエリスムの始まりの年としていますが、1520年はラファエロが亡くなった年です。
ひとりの画家の死の年を美術史の区分とするくらいラファエロはルネサンスを象徴する画家で、西洋美術史においてはレオナルドやミケランジェロ以上に後世に大きな影響をもたらしました。知れば知るほどその凄さがわかると思います。