若くして師を超えた卓越した才能

 ラファエロの生涯と代表作を、年代順にみていきましょう。ラファエロは1483年、イタリア北中部のウルビーノという町で生まれました。母親はラファエロが8歳の時に他界し、公爵家に仕えた文人画家だった父親のジョヴァンニ・サンティも、11歳の時に死去します。その後は母方の叔父が後見人となりました。ちなみにラファエロの本来の苗字はサンティ(Santi)ですが、のちにラテン語でサンツィオ(Sanzio)と署名するようになったことから、今では一般的にサンツィオと表記されます。

 ラファエロは11歳か12歳の時、ペルジーノ(=ペルージャの人)と呼ばれたピエトロ・ヴァンヌッチ(以下ペルジーノ)に入門したとされていますが、確証はありません。ペルジーノはボッティチェリやレオナルドと同じフィレンツェのヴェロッキオ工房で修行し、ペルージャで大工房を構えていました。ただ、ラファエロの初期作品にその影響が色濃くあるため、疑いようがないと思われます。そして1500年、17歳にして自ら工房を構えることができる親方となります。

《キリストの磔刑》1502-03年 油彩・板 281×165cm ロンドン、ナショナル・ギャラリー

 ラファエロの初期作品であるチッタ・ディ・カステッロの祭壇画《キリストの磔刑》(1502-03年)は、右の女性の表情や仕草など、作品全体にペルジーノの影響が色濃く見えます。21歳の時に描いた《マリアの結婚》(1504年)と、ペルジーノの《鍵の授与》(1480-82年)を見比べてみてください。主題は違いますが、後ろに建造物があって前に人物を一列に配しているという、類似があります。

《マリアの結婚》1504年 油彩・板 170×117cm ミラノ、ブレラ絵画館

 当時の工房での修行は親方の下絵をひたすら模写したり、作品の下塗りをしたり、経験を積むと親方の一部を任されたりしたため、初期の作品は親方の作品と見分けがつかないほど似ていることが多いのです。しかし、この二作品からラファエロが優れていることがよくわかります。

ペルジーノ《鍵の授与》1480-82年頃 フレスコ ヴァチカン、システィーナ礼拝堂

 システィーナ礼拝堂の壁画を描くという栄誉を受けたペルジーノの《鍵の授与》は、キリストがペテロに天国の鍵を授ける場面です。ちなみに礼拝堂の奥の壁にもペルジーノは《聖母被昇天》を描き、まさに当時の優れた画家ということの証明となりますが、後年、ミケランジェロの《最後の審判》が描かれる際に消されてしまいます。

《鍵の授与》は一点透視図法の遠近法を用いた空間において、遠景に建造物、手前に人物というとても秩序正しい絵ですが、人物たちの動きが乏しく新しさもありません。ラファエロの作品は、指輪を受けるマリアとペルジーノが描いたキリストが似たポーズをして青い布を纏っている点や、何人かの表情などに師譲りものが見えます、しかし、幾何学的な空間表現が美しく、中央の祭司が少し体を傾けていたり、それぞれの人物の姿勢や表情などに変化をつけていたりしています。

 画面右の赤いタイツの男性が、枝を折ろうとして体をかがめています。立っている人々の中に巧妙に入れることで、画面に動きを出すという効果を生んでいます。そしてこれは「国中の独身者に一本、杖を持たせて集めなさい。杖の先に花の咲いた者がマリアの夫となるべき者である」というお告げで枝に花の咲いたヨセフが選ばれ、選ばれなかった男性が怒って枝を折っているという、エピソードに沿った描写です。

「青は藍より出でて藍より青し」という、弟子が師を超えることをたとえる言葉がありますが、この時点ですでに師ペルジーノを超えているといってよいでしょう。

 この後、1504年、21歳のラファエロはフィレンツェに居を移します。メディチ家を追放し、かつての勢いを失った斜陽のフィレンツェでは、ミラノから戻ってきた52歳のレオナルド、《ダヴィデ》像の完成が間近だったまだ29歳のミケランジェロら、第一線で活躍する画家が競い合っていました。ラファエロがフィレンツェに滞在したのはわずか4年でしたが、彼らの作品に直に触れて吸収しながら、聖母子像をはじめ独自の表現を確立していきました。フィレンツェ時代については第7回で紹介します。

 その4年後の1508年、ローマに招かれた25歳のラファエロは、ヴァチカンを舞台にその才能を遺憾無く発揮したのでした。ローマ時代は第8回で解説していきます。

参考文献:
『もっと知りたい ラファエッロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術) 
『ラファエロ−ルネサンスの天才芸術家』深田麻里亜/著(中公新書)
『ルネサンス 三巨匠の物語』池上英洋/著(光文社新書)
『ルネサンス 天才の素顔』池上英洋/著(美術出版社)
『名画への旅 第7巻 モナ・リザは見た 盛期ルネサンス1』木村重信・高階秀爾・樺山紘一/監修(講談社)他