樋口廣太郎氏(撮影:横溝敦)と「アサヒスーパードライ」

 日本で一番飲まれているビールは「アサヒスーパードライ」で、20年以上その地位を保ち続けている。しかし発売当時のアサヒビール(現アサヒグループホールディングス)に樋口廣太郎社長がいなければ、スーパードライは世に生まれなかったか、発売されていても、ここまで大ヒットしなかった可能性が高い。それを覆したのが、樋口氏の常識外れの発想と行動だった。

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イノベーターたちの日本企業史

『ウォークマン』やスマートフォンの登場によって、好きな音楽がいつでもどこでも楽しめる。宅配便を使えば大半の地域に翌日、荷物を届けることもできる──。こんな当たり前の生活は、一昔前には思いも寄らないことでした。それを可能にしたのは、日本企業史に名を刻む経営者の並々ならぬイノベーションへの執念でした。本特集では、日本人のライフスタイルを変えた「変革者たち」の生き様に迫ります。

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“コクキレビール”のヒットに満足しなかった

 1987年、アサヒビールは新商品「アサヒスーパードライ」を発売した。これにより半ば固定化されていたビール業界の勢力地図が一変したことは前編(「銀行からアサヒビール社長に転じた樋口廣太郎は社内に染みついていた『負け犬根性』をいかに払拭させたのか」2024年8月5日公開)で紹介した。

 しかし、このスーパードライの発売は、従来の常識では考えられないことだった。そしてその常識を打ち破ったのが前年に社長に就任した樋口廣太郎氏だった。

 樋口氏の就任1年目。アサヒはほんのわずかながらビールシェアを伸ばした。長期低落傾向にあったアサヒのシェアが前年を上回るのは5年ぶりのことだった。その要因は、樋口氏就任直前に発売した「アサヒ生ビール」(通称コクキレビール、現在のマルエフ)のスマッシュヒットだ。

 ヒット商品が生まれた場合、その翌年はさらに伸ばそうというのが常識的な判断だろう。しかし樋口氏はそう考えなかった。コクキレビールがヒットしたのは、苦みと重厚さが前面に出た従来のビールの味に、キレという概念を持ち込んだためだ。そこに樋口氏は、消費者の新しい味への希求を見た。

 そのことだけなら優秀なマーケターなら誰もが気づくかもしれない。しかし樋口氏のすごいところは、「この程度の変化で成果を出したのなら、もっと変えればもっと大きな成果を生む」と考えたことだ。特に根拠があるわけではないから、当然多くの社員が反対した。樋口氏がその意見に従っていれば、スーパードライが日の目を見ることはなかった。

 発売後も常識外れは続く。スーパードライは初年度1350万ケース(大瓶20本換算)という、ビールの新商品としては空前のヒットを飛ばしたが、翌年は7500万ケースと約5倍に増え、さらに翌年には1億ケースを突破した。

 そして1997年にスーパードライはそれまでの王者「キリンラガー」を逆転し、単独ブランドトップに躍り出た。これを支えたのが、信じられないほどの積極経営だった。

2022年、発売36年目にして初のフルリニューアル(右)を果たした「アサヒスーパードライ」(写真:共同通信社)