日本で一番飲まれているビールは「アサヒスーパードライ」で、20年以上その地位を保ち続けている。しかし発売当時のアサヒビール(現アサヒグループホールディングス)に樋口廣太郎社長がいなければ、スーパードライは世に生まれなかったか、発売されていても、ここまで大ヒットしなかった可能性が高い。それを覆したのが、樋口氏の常識外れの発想と行動だった。
『ウォークマン』やスマートフォンの登場によって、好きな音楽がいつでもどこでも楽しめる。宅配便を使えば大半の地域に翌日、荷物を届けることもできる──。こんな当たり前の生活は、一昔前には思いも寄らないことでした。それを可能にしたのは、日本企業史に名を刻む経営者の並々ならぬイノベーションへの執念でした。本特集では、日本人のライフスタイルを変えた「変革者たち」の生き様に迫ります。
- ソニーやマイクロソフトのゲーム機参入に一歩も引かなかった任天堂・山内溥の「プライドと恐怖心」
- 一時は経営危機に陥ったファミコンの父・山内溥が「ハードは赤字で構わない」と利益度外視の価格設定を貫いた理由
- 「社会が必要とするものを全てやる」セコム創業者の飯田亮が前のめりで描き続けた企業のグランドデザイン
- 日本初の警備会社・セコムをつくった飯田亮、貫いた「破壊と創造」の経営哲学
- 天国から地獄へ、リクルート事件で全てを失った江副浩正の「晩節」
- 「最も成功した東大出身起業家」、リクルート江副浩正が時代の寵児になるまで
- ヤマト運輸元社長・小倉昌男が採算の合わない「宅急便事業」に挑戦したワケ
- 盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか
- 「舌禍事件」でピンチ招いたサントリー、佐治敬三はどう経営を立て直したのか
- 中内功が築き上げた日本有数の巨大企業グループ、ダイエーはなぜ転落したのか
- ウイスキーを大衆化させたサントリー、佐治敬三の卓越したマーケティング力
- 孫正義も師と仰いだ日本マクドナルド創業者、藤田田の先見力はなぜ陰ったのか
- ハンバーガーを国民食にした日本マクドナルド創業者・藤田田の商魂たくましさ
- 中内功が築き上げた日本有数の巨大企業グループ、ダイエーはなぜ転落したのか
- 松下幸之助をはねつけてまで貫いたダイエー創業者・中内功の「安売りの哲学」
- 「宅急便」の生みの親、小倉昌男はケンカも辞さない江戸っ子経営者だった
- ヤマト運輸元社長・小倉昌男が採算の合わない「宅急便事業」に挑戦したワケ
- 盛田昭夫が夢見たソニー流「エレキとエンタの両輪経営」はこうして実現した
フォローしたコンテンツは、マイページから簡単に確認できるようになります。
“コクキレビール”のヒットに満足しなかった
1987年、アサヒビールは新商品「アサヒスーパードライ」を発売した。これにより半ば固定化されていたビール業界の勢力地図が一変したことは前編(「銀行からアサヒビール社長に転じた樋口廣太郎は社内に染みついていた『負け犬根性』をいかに払拭させたのか」2024年8月5日公開)で紹介した。
しかし、このスーパードライの発売は、従来の常識では考えられないことだった。そしてその常識を打ち破ったのが前年に社長に就任した樋口廣太郎氏だった。
樋口氏の就任1年目。アサヒはほんのわずかながらビールシェアを伸ばした。長期低落傾向にあったアサヒのシェアが前年を上回るのは5年ぶりのことだった。その要因は、樋口氏就任直前に発売した「アサヒ生ビール」(通称コクキレビール、現在のマルエフ)のスマッシュヒットだ。
ヒット商品が生まれた場合、その翌年はさらに伸ばそうというのが常識的な判断だろう。しかし樋口氏はそう考えなかった。コクキレビールがヒットしたのは、苦みと重厚さが前面に出た従来のビールの味に、キレという概念を持ち込んだためだ。そこに樋口氏は、消費者の新しい味への希求を見た。
そのことだけなら優秀なマーケターなら誰もが気づくかもしれない。しかし樋口氏のすごいところは、「この程度の変化で成果を出したのなら、もっと変えればもっと大きな成果を生む」と考えたことだ。特に根拠があるわけではないから、当然多くの社員が反対した。樋口氏がその意見に従っていれば、スーパードライが日の目を見ることはなかった。
発売後も常識外れは続く。スーパードライは初年度1350万ケース(大瓶20本換算)という、ビールの新商品としては空前のヒットを飛ばしたが、翌年は7500万ケースと約5倍に増え、さらに翌年には1億ケースを突破した。
そして1997年にスーパードライはそれまでの王者「キリンラガー」を逆転し、単独ブランドトップに躍り出た。これを支えたのが、信じられないほどの積極経営だった。