女性初の弁護士に

1938年頃の三淵(旧姓:武藤)嘉子

 嘉子は昭和10年(1935)3月、明治大学専門部女子部法科を卒業すると、同年4月、明治大学法学部に進んだ。嘉子、20歳の時のことである。

 昭和13年(1938)3月、明治大学法学部をトップの成績で卒業し、卒業式では総代を務めたという(清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』)。

 同年11月に高等試験司法科をはじめて受験し、筆記、口述試験ともに突破。

 田中正子(のちの中田正子)、久米愛とともに、初の女性合格者となった(三人とも明治大学の出身)。

 嘉子は弁護士試補として、丸の内の仁井田益太郎の弁護士事務所での修習を終えた後に、昭和15年(1940)12月、第二東京弁護士会に弁護士登録。

 これをもって正式に、初の女性弁護士が誕生した。嘉子は26歳になっていた。

 嘉子は引き続き、仁井田益太郎の弁護士事務所で勤務することとなった。

 また、同年7月1日に、明治大学専門部女子部法科の助手にもなっている。

 弁護士としての道を歩みはじめた嘉子だが、戦争の影響で、弁護士の仕事は激減してしまう。後述する結婚や出産も重なり、弁護士は開店休業となった。