NHK連続テレビ小説『虎に翼』は、日本史上、初めて誕生した女性弁護士の一人にして、初の女性判事、初の女性裁判所長となった三淵嘉子をモデルとするオリジナルストーリーである。

SNSでも話題で、大変に評価が高いため、途中から視聴をはじめた方も少なくないだろう。

途中から視聴した方も、初回から視聴している方も、これから視聴する方も、よりドラマを楽しめるように、伊藤沙莉が演じる主人公・猪爪寅子のモデル三淵嘉子の人生を、ご紹介したい。

なお、ドラマのタイトル『虎に翼』は、中国、戦国時代末期の法家で思想家の韓非(生年不詳~紀元前233、234年頃)の論文集『韓非子』「難勢」に登場する言葉で、「もともと強い者に、さらに強さが加わる」ことのたとえである。

文=鷹橋 忍 

1982年6月10日、マンションのテラスで取材に応じる弁護士の三淵嘉子さん 写真=共同通信社

裁判官にはなれず

 昭和22年(1947)3月、三淵嘉子は司法省人事課に赴き、松山ケンイチが演じる桂場等一郎のモデルではないかといわれる石田和外に、「裁判官採用願」を提出した。

 当時、「女性不採用」という法律上の規定は存在しなかったが、司法官(裁判官、検察官)になった女性は、まだ一人もいなかった。「裁判官採用願」を提出した女性も、三淵嘉子がはじめだった。

 二ヶ月後の5月3日から執行される日本国憲法では、男女平等を謳っている(公布は前年の昭和21年(1946)11月3日)。

「ならば、女性も裁判官に採用されるはず」と、嘉子は考えたのだ。

 石田和外は、東京控訴院(現在の高等裁判所に相当)の院長・坂野千里に相談し、嘉子を坂野千里に面接させた。

 だが、坂野からは、「女性裁判官が初めて任命されるのは、新しく最高裁判所が発足してからのほうがふさわしい(当時はまだ、最高裁判所は発足されていなかった)。弁護士と裁判官の仕事は異なるので、しばらくの間、司法省の民事部で勉強していなさい」と告げられた(『追憶のひと三淵嘉子』所収の遺文 三淵嘉子「私の歩んだ裁判官の道――女性法相の先達として――」)。

 こうして、嘉子は裁判官になることは叶わなかったが、同年6月、司法省の嘱託として採用され、民事部の民法調査室に配属された。

 

不満を抱えながらも、多くを学ぶ

 司法省民事部の民法調査室において、嘉子は日本国憲法に基づく、民法改正作業の手伝いをした。

 民法の改正作業が一区切りつくと、昭和23年(1948)1月に、嘉子は最高裁判所(日本国憲法執行と同時に発足)の事務局(現在の事務総局)の民事部へ移動となる(神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』)。

 昭和24年(1949)1月、離婚問題など家庭に関する事件を扱う「家事審判所」と、未成年者の事件を扱う「少年審判所」が統合された家庭裁判所が全国49カ所に設立されると、嘉子は最高裁判所の中に設けられた「家庭局」に配属となる。

 家庭局の局長は、家庭裁判所の設立に尽力し、「家庭裁判所の父」と称された宇田川潤四郎である。

 宇田川は、滝藤賢一が演じる多岐川幸四郎のモデルでないかといわれる。

「私の歩んだ裁判官の道――女性法相の先達として――」によれば、嘉子は最高裁判所事務局民事部や家庭局で、民事訴訟や家庭裁判所関係の法律問題や司法行政上の業務に従事した。

 裁判官になれず、多少の不満は抱いていたようだが、「先輩の法曹たちから裁判官のあり方や裁判の意義など、多くのことを学べた。その経験は、後に裁判官としての根幹となった」と述べている。