多様な職場を経験する中で意識していたこと

 第1回、第2回でお伝えしてきた通り、私はこれまで多様な職場を経験してきました。日本以外には、米国西海岸、シンガポールの職場を経験し、現在は日本のスタートアップ企業にシンガポールからフルリモート・フルフレックスで働いています。MBA留学時にはシンガポールのほか、フランスでの居住経験があります。

 マッキンゼーでは「over deliver(期待値を超える)」を常に意識する環境でした。新卒で入社以降、常に相手の期待値を超えることを求められ、また実現しようとしていました。そのため、毎日、相手にどんな価値を提供できるかを考え続け、自分の提供価値を最大化するために視野を広げるよう努めていました。日本国内に限らず海外のクライアントや海外オフィスのスタッフにも声を掛け、情報を交換し合うことによって提供価値を高め、自分を高めることができたと思います。

 また、「obligation to dissent(反対する義務がある)」も意識していました。経験豊富な人が世界中から集まっている中だからこそ「自分は経験がないから何もできない」と諦めるのではなく、自分にできる最大限のことをやって価値を出しにいくよう心掛けていました。自分ならではの視点で意見を伝えることで、経験豊富な人に新たな視座を提供できることもあるからです。新卒で入社したばかりの自分であっても、他の人とは違う視点を探して、意見を述べる環境を与えられていたと感じています。

 このように常にプロフェッショナルとして自分のベストを尽くしながら周囲のさまざまな人たちと信頼関係を構築していくことも、今となってみると、マッキンゼーでの経験から学んだことでした。

 その後、コンサルタントを離れて、プロダクトを成長させる仕事に就きたいと考え、米国Googleやシンガポールのフィンテック企業に転職しました。

 米国のGoogleでは、社員がさまざまな場所で働いていました。コロナ禍前のことで、基本的には皆、出社していたのですが、私が関わっていた業務では、米国中の異なる拠点や海外の拠点にいるメンバーとも日常的にコミュニケーションをとる必要があり、その場にいない人と仕事をすることは当たり前でした。

 米国にはタイムゾーンも複数あるため、米国内であっても時差がある中でコミュニケーションをとっていました。お客さまからのフィードバックを、早朝にはヨーロッパとつないで、夜間にはアジアとつないでオンライン会議でヒアリングするといったことが日常でした。このような環境だったため、「飲みニケーション」で交流を深めるといったことは難しく、離れた場所にいて、仕事以外の時間を共にしない人たちといかに短期間で信頼関係を構築できるか、いつも意識して行動していました。

越境ワークという働き方の選択

 そのシンガポールで、第一子の妊娠が分かりました。妊娠したこと自体はすごくうれしかったです。これまで経験した職場では、出産してすぐに復帰してバリバリ働いている人を見てきたので、自分もそうするものだと思っていました。ただ、私の場合、妊娠初期から最後までつわりに悩まされ、思い通りに働けなくなってしまったんです。

 第1回でご紹介の通り、シンガポールからヨーロッパや日本に頻度高く出張するような仕事のスタイルをとっていたので、妊娠初期に体調不良のため出張を直前キャンセルするという事態となってしまいました。会社としては、当時、他の社員は出社していたにもかかわらず在宅での勤務を許可するなど、最大限の配慮を示してくれ、周囲の社員も動けない私のサポートをしてくれていました。

 ただ、それでも「これまでと違って思ったように進められない。ベストを尽くせず妥協を重ねて仕事をしている」という状況をつらく感じてしまうようになったことが、転職へのきっかけです。体調がすぐれず出社できない状況や、オンラインでミーティングに参加しても、他の参加者が出社している中で、1人だけリモート参加であることの疎外感など、些細なことを負担に感じてしまいました。

 そこで、一度リセットして、長期的な視点で自分のキャリアを見つめ直す中で、次に働く時には、自分だけでなく周囲の人も、ライフイベントでキャリアを諦めることの少ない環境を目指したいと強く感じました。そう思うと「環境選びも重要」だと思うようになりました。

 これまでの就業環境ではオフラインでのコミュニケーションを重視されるケースがあることも多く、実際にオンラインだけで業務が成り立つのか疑問はありました。その一方で、仕事を続けられる、諦めずに済むことが自分にとって最優先だったので、現在の職場、RevCommにてフルリモート・フルフレックスで働くことを選択しました。