デジタル化が高める透明性
オリンピックとショパンコンクールの一つの違いは、オリンピック競技の多くがタイムや距離、高さ、重さなど客観的な数値を競うのに対し、ショパンコンクールは審査員の主観で順位を決めなければならないことです。
実際、過去のコンクールでは、審査を巡る話題がしばしば注目を集めました。
ショパンコンクールは1927年に始まりましたが、1960年より前は、1位から3位は全て共産圏出身者、優勝者はポーランドかソ連出身者という時代が続きました。この頃は共産圏中心のコンクールと思われており、これが世界的に注目されるようになったのは、1960年、アルトュール・ルビンシュタイン審査委員長から「我々の誰よりも上手い」という賛辞を受けたイタリアの18歳、マウリツィオ・ポリーニさんが、西側諸国出身者として初めて優勝してからでしょう。
1955年のコンクールでは、ソ連から参加した17歳の少年ウラディーミル・アシュケナージさんが1位ではなく2位にされたことに、世界的ピアニストであったベネデッティ・ミケランジェリ審査員が抗議して退席しました。また、1980年のコンクールでは、ユーゴスラビアのイーヴォ・ポゴレリッチさんが予選落ちとされたことに、やはり世界的ピアニストであり、自身が1965年の優勝者でもあるマルタ・アルゲリッチ審査員が憤慨し、「彼は天才よ!」と言い放って審査員を辞任する事件が起こりました。
現在、動画配信の発達により、ショパンコンクール参加者の演奏は、一次予選から全て、世界中のファンが動画でリアルタイムで見ています。このため、演奏と同時に、各国の視聴者の評価や感想が直ちに飛び交います。したがって、インターネットでの聴衆の支持とかけ離れた審査をすれば、コンクール自体の信認喪失につながってしまうでしょうし、このような透明な状況の下では恣意的な審査は難しいでしょう。逆に言えば、世界中の人々が注目する中で演奏をする出場者が大変なのはもちろん、世界の厳しい監視の目のもとで採点をしなければならない審査員のプレッシャーも相当なものだろうと思います。
また、このような動画配信には副次的効果もあるように思います。参加者は一人のピアニストとして、会場の聴衆や審査員だけでなく、世界中で動画に聴き入っている数万の聴衆を意識して演奏することになります。また、必ずしも最終的な審査結果が上位でなかったピアニストも、動画配信で視聴者からの支持を集めれば、それによって世に出る機会が広がります。さらに、「あの参加者のあの曲の演奏は良かった」といった特定の演奏にも焦点が当たりやすくなり、その動画は繰り返し再生されることになります。