デジタル人民元計画の留意点
このデジタル人民元計画については、あまり報道されていないいくつかの留意点があります。
一つには、デジタル人民元について、「ブロックチェーン」や「分散型台帳技術」といった分散型の技術をフルに使う必要は、実はあまりないのです。中国はデジタル人民元についてもブロックチェーンや分散型台帳技術についても、積極的に調査研究を進めていると述べていますが、「デジタル人民元にブロックチェーンや分散型台帳技術を使う」とは明言していません。
前述のとおり、中国当局は、デジタル人民元に現金同様の匿名性を与えるのではなく、むしろ、必要に応じて情報やデータを収集できるようにしたいように窺われます。そうだとすれば、敢えて分散型の技術を使う必要はなく、これまで同様の集中型の技術を使った方が馴染みやすいように思えます。
また、「ハブ&スポーク」の構造をとる集中型に比べ、分散型の構造は、取引量が多くなるにつれて計算負荷が膨れ上がるという「スケーラビリティ問題」(スケーラビリティ:規模の変化に柔軟に対応できる能力)を抱えやすいのです。この観点からも、完全な匿名性を求めないデジタル通貨は、むしろ集中型の構造で発行するのが自然であるように思います。これは、JR東日本の“Suica”が円滑に機能しているのと同じです。
もちろん、中国当局が「ショーケース」的に分散型の技術を使ってくる可能性を否定はできません。しかし、少なくとも技術的には、現在の中央銀行を「ハブ」とするインフラがきちんと機能している中、敢えて分散型を使わなければいけない理由はないのです。この点を念頭に置きながら、今後の中国の動向を見守っていく必要があります。
また、中国当局はデジタル人民元を、「二層構造」の下、銀行やノンバンクなどを通じて間接的に発行するスキームを考えています。すなわち、中央銀行である中国人民銀行は、一般の人々に直接デジタル人民元を発行する代わりに、まず銀行やノンバンクなどに対してデジタル人民元を発行し、銀行やノンバンクがこれを企業や個人に配る姿が想定されています。これは、中国当局が、民間銀行や決済関係企業(アリババ、テンセントなど)と共存を図る上で重要なスキームといえます。
しかしながら、それでもデジタル人民元の発行に伴う問題が全て解決できたわけではありません。このような「間接発行デジタル人民元」と銀行預金は、預金者からみれば似たようなものに映ります。この中で預金をデジタル人民元に移す動きが起これば、銀行の貸出原資は減少してしまいます。
このように、デジタル人民元については、技術的課題が解決されたとしても、なお発行までに検討すべき点は多く残されています。
中国も含め現段階では、一般の人々が銀行券代わりに使える中央銀行デジタル通貨について、広範な正式発行にまで漕ぎつけた国はありません。そのくらい、中央銀行デジタル通貨は、複雑な問題を数多く含んでいるのです。
◎山岡 浩巳(やまおか・ひろみ)
フューチャー株式会社取締役/フューチャー経済・金融研究所長
1986年東京大学法学部卒。1990年カリフォルニア大学バークレー校法律学大学院卒(LL.M)。米国ニューヨーク州弁護士。
国際通貨基金日本理事代理(2007年)、バーゼル銀行監督委員会委員(2012年)、日本銀行金融市場局長(2013年)、同・決済機構局長(2015年)などを経て現職。この間、国際決済銀行・市場委員会委員、同・決済市場インフラ委員会委員、東京都・国際金融都市東京のあり方懇談会委員、同「Society5.0」社会実装モデルのあり方検討会委員などを歴任。主要著書は「国際金融都市・東京」(小池百合子氏らと共著)、「情報技術革新・データ革命と中央銀行デジタル通貨」(柳川範之氏と共著)、「金融の未来」、「デジタル化する世界と金融」(中曽宏氏らと共著)など。
◎本稿は、「ヒューモニー」ウェブサイトに掲載された記事を転載したものです。