デザイン思考の事例

 デザイン思考のプロセスについて、大枠は掴めたかと思う。では、実際のビジネスの現場では、どのように用いられているのだろうか? 活用事例を紹介する。

●iPod(Apple)
 社内外のデベロッパーに心理学者やデザイン・人間工学の専門家などを加えた30数名のチームによってわずか11ヵ月で開発されたといわれ、デザイン思考の代表事例に挙げられる。ユーザーを徹底的に観察することで、ユーザーが「CDからPC、PCから音楽プレーヤーへと音楽データを移し替える作業が面倒」だと感じているということを発見した。

 これを基に「音楽データを簡単に、かつ大量に取り込むことができるプレーヤー」を生み出すという焦点を定め、実現に向けてクイックホイールや使いやすいUI等、斬新なアイデアを多数創造。約2ヵ月の間に100以上のプロトタイプを作成し、完成にこぎつけたとされる。

●LINE(※企業同名)
 国内で圧倒的なユーザー数を誇るSNSアプリ「LINE」を手掛けるLINEは、徹底したユーザーの行動観察・分析を行う企業としても有名だ。特に2012年の本社移転時は、社内に設けられた「ユーザーリサーチルーム(UXルーム)」が多くのメディアで取り上げられた。新サービスの開発や既存サービスの改善を行う際は、この部屋の中でプロトタイプのテストを実施。室内に設置された複数のカメラでユーザーの行動や表情をつぶさに観察し、ユーザー体験の向上を図る。

●瞬足(アキレス)
 アキレスが開発・展開する運動靴ブランド。小学校の運動会で、子どもたちの走り方や靴の履き方を観察。その結果、小学校の運動場のトラックはほぼ左回りであり、コーナーで転倒する子どもが多いことを発見した。この課題を解決する左右非対称のソールを開発して大ヒット。今も高い認知度を誇る運動靴ブランドとなっている。観察によってユーザー自身も気が付かない隠れたニーズを見出した好例だ。

●Wii(任天堂)
 任天堂が開発した家庭用ゲーム機。2014年に野村総合研究所が作成した「国際競争力強化のためのデザイン思考を活用した経営実態調査報告書」によると、社員の家庭を現場観察した結果「ゲーム機がある家庭のリビングでは子どもの在室時間が短い」、「鍋を囲んでいる家庭はしっとりしており親密度が高い」ことに気が付いた。ここから「鍋のような親密な状況をリビングで創り出したい」というインサイトが導かれたという。この「鍋のようなゲーム機」も含めた案を基に開発チーム全員によるブレインストーミングが繰り返し行われ、完成形へと近付いていった。

 さらに同製品は、ゲーム機としては斬新な縦持ち・片手持ちが可能な形状のコントローラーでも注目を浴びた。「家庭で皆が使うのはテレビのリモコンである」という発想によるものだが、これも家庭観察の結果得られた気付きが影響している。ゲーム機を操作するのは基本的に子どもだけで、母親からは敬遠されていること。両手で持つ横持ちのコントローラーはゲーマーを想起させるという分析によるものだ。この「片手で縦に持てるコントローラー」の原型も、粘土で何度も試作を重ねながら作られていったというのだから、国内におけるデザイン思考の代表例といって良いだろう。

 この他、創業期より「ユーザーファースト」なサービスづくりを掲げるヤフーは、2013年から自社のモノづくりにデザイン思考を活用する取り組みを行っている。

 どんなに先進的な技術が使われた製品やサービスであったとしても、ユーザーにポジティブな感情を伴う体験を提供できなければ市場競争を生き残ることはできない。モノもサービスもあふれるほどに存在している今、企業が生き残っていくには既に表出しているニーズや課題に囚われず、積極的にイノベーションを創出する取り組みを行っていく必要がある。

 そのための「ユーザーファースト」であり、デザイン思考。企業側の都合ばかり重視したひとりよがりな製品やサービスは、今後ますます通用しなくなっていくだろう。アンケート調査だけでは分からない隠されたニーズを見つけ出すデザイン思考は、従来のマーケット手法に頼り切らず、ユーザー視点に立つことで隠されたニーズを見つけ出す「ジョブ理論」の考え方にも通ずるところがある。これらの考え方は、長くユーザーに選ばれ続ける企業にとっての「常識」になっていくのかもしれない。

 デザイン思考を学ぶワークショップやコンサルティングを行うアイリーニ・デザイン思考センター(旧:一般社団法人デザイン思考研究所)は、d.school等が手掛けた教材の翻訳版を公開している。さらに詳しくデザイン思考を学びたい方は、それらに目を通してみると良いだろう。その上で、自分たちの職場に取り入れることができないか、一考してみてはいかがだろうか。