また、パリ政治学院の教授に、高校レベルでの起業家教育について聞いてみると、「本当に起業することをプッシュするのは、高校生では早すぎるとは思うが、考え方を教えておくことは重要である」との答えであった。
日本の高校生に「起業“力”教育」を
このようなヨーロッパにおける起業家教育の現状は、日本にとって大変参考になろう。米国の周回遅れで、米国のやり方を導入しながら起業家教育を始めているという点では日欧は共通しているが、それでもヨーロッパの方が日本より半歩進んでいるように思える。米国の流儀をそのまま受け入れているようで、ニュアンスが少し違うと言う。自分が儲けるということより、社会を変えるという意識が米国より高いということではなかろうか。この方が日本人の感性には近いような気がする。
高校生レベルでの起業家教育については、確かに本当の起業を目指す教育は早過ぎるかも知れないが、社会的課題を解決するためにチームを作ってビジネスプランを練り上げてみる、もしくはそういうことに情熱を持つことを教えるのは重要ではなかろうか。その際、「起業家教育」という言葉が高校生に起業を勧める教育と狭く捉えられるのであれば、確かにそれは時期尚早と思えるので、何かいい言葉に変えてもいいのではないかと考えている。
そもそも“entrepreneurship education”の和訳が「起業家教育」というのは正しいのか? 逆に日本語の「起業家教育」を英訳すれば“entrepreneur education”になるはずではないか? つまり、“-ship”という語尾が正確に和訳されていないのである。
では”-ship” とはどういう意味か? 辞書によれば、“-ship”は、名詞につけて抽象名詞を作る語尾で、意味合いとしては「状態・性質、身分・地位、能力・技量」ということである。最後の能力・技量の例としては“leadership”があるというが、“entrepreneurship”はこれに類似しているものと思われる。ところが“leadership”については日本語でも「リーダーシップ」とそのままカタカナ語として通用させている。“-ship”は訳しにくいのであろう。
そこで“entrepreneurship education”の和訳であるが、「起業力教育」としてはどうかと考えた。起業する力、情熱を育成するという意味である。「起業家教育」という言葉が生徒を起業家にするための教育と狭く捉えられ、それは高校生には時期尚早であるとの反発を招くのであれば、これは現在の日本の若者に欠けている起業に対する情熱を育むものと位置づける。