人間の創造物に人格は宿るのか

「馬車より速い乗り物が欲しいから自動車を作る」など、人間が行うような知的処理を「弱いAI」とするのに対し、知能そのものを機械が作る取り組みのことを「強いAI」と呼ぶこともある。

第二次大戦中にドイツ軍の暗号エニグマを解読した天才コンピュータ科学者、アラン・チューリングは1950年に「チューリングテスト」を提案した。機械に知能があるか否かを、会話を通して判定するテストである。

コンピュータサイエンスの父として、マンチェスターに設置されたアラン・チューリングの銅像

ちなみに最近では、AIとは異なるものとする「コグニティブ・コンピューティング」という言葉も誕生している。AI(強いAI・弱いAI双方とも)は、一部にしろ大部分にしろ、人間を代替する目的で開発されている。しかし、コグニティブ(認知)なシステムは、自然言語解析・学習・意思決定・傾向分析などの機能を有し、あくまで人間をサポートするための回答をするというのがAIと異なる特徴だという。代表的なコグニティブ・システムとしては、IBMの「Watson」がある。

古典的な意味でのAI(強いAI)はまだ実現していない。この先もしばらくは無理であろう。人間の能力と機械の能力はベクトルが異なり、それを整合させることは難しいのだ。だからこそ、人間の存在に意味があり、人間と機械が協調することで新しい世界が拓ける可能性があるとも言える。

しかし、弱いAIであっても、チューリングテストを通過するシステムは作り得る。このことは、有名な「中国語の部屋」などの思考実験でも明らかにされていたが、実際にチューリングテストに合格するシステムの登場で明解な証拠が示されたと言える。

2014年6月、アラン・チューリング博士の没後60周年に英国のレディング大学で「Turing Test 2014」が行われた。そこで、「Eugene」(ユージーン)という13歳のウクライナ人少年を想定したスーパーコンピューターがチューリング・テストを通過したと発表されたのだ。

その後、人工知能研究の権威であるレイ・カーツワイル博士をはじめとした専門家たちから様々な指摘がなされ、真の人工知能ではなくチャットボットの類であるなどとの議論を巻き起こした。

この事案からも読み取れるように、弱いAIはデータの蓄積から会話のルールを抽出して、その場に適合した気の利いたセリフを選択する。将棋のAIが本当に棋理を思考しているわけではなく、過去の蓄積からあるべき手を抽出するのと同じである。