2025年8月26日、現行型日産GT-Rの生産が終了した。このクルマの開発には生産現場の多大なる協力もあったという。誰に言われるともなく、生産現場ではボディの公差を詰め、それだけでボディ剛性を8%も向上させたという

スカイラインGT-RからNISSAN GT-Rへ

 8月26日、日産自動車のGT-Rの生産が終了しました。現行型のGT-Rは「R35」とも呼ばれ、R35は2007年に生産を開始して以来、18年間で約4万8000台が栃木工場をラインオフしたことになります。

 そもそもGT-Rは、スカイラインのハイスペック仕様として1969年に初代が誕生しました。1973年には「ケンメリ」の愛称で親しまれたスカイラインにGT-Rが追加され、1989年に「R32」と呼ばれるGT-Rが誕生します。

写真は1968年発売の3代目C10型 スカイライン。「ハコスカ」の愛称で知られる。このクルマをベースに翌1969年、初代GT-Rが登場した
1972年発売の4代目C110型 スカイライン。こちらは「ケンとメリーのスカイライン」の広告シリーズでヒットし「ケンメリ」の愛称で知られる。これをベースとしたGT-Rが設定されたのが1973年
RB26という6気筒エンジンを搭載したスカイラインGT-R BNR32(R32)はシリーズ第3世代にあたる。1989年発売

 R32は当時の国産車としてはトップクラスの最高出力280psを誇るモデルでもあり、自分の国産車280ps初体験もこのクルマでした。1995年の4代目の「R33」には少数生産ながらも4ドア仕様があり、1999年に5代目の「R34」、そして2007年には車名から「スカイライン」が消え、「日産GT-R」として登場しました。

2007年に発表されたR35 GT-R。発表時に添えられていたのは「新次元マルチパフォーマンス・スーパーカー」という言葉だった。初期モデルの最高出力は480PS最大トルクは588Nm

R35の18年はどういうものだったのか?

 これまでは、2代目から3代目が発表されるまでの16年が最長でしたが、R35はこれを更新する18年もの長きに渡って生産されたモデルです。その背景には、日産という自動車会社内でのさまざまな問題や、世界各国の自動車規制の更新などが影響してきたと言われています。今回の生産中止も、騒音規制への対応やパーツの供給などの難しさがあったようです。

 ただ、R35はダラダラと18年間をやり過ごしてきたわけではありませんでした。特にモデル後半期には毎年のように微に入り細を穿つ改良が行われてきて、そのやり方のどれもが自動車に明るい人から見ると「そうきたか」「まだその手があったか」と思わず唸るものばかりでした。

18年間もの長きに渡って生産されたR35は、ほぼ毎年のように改良が施された。そこには決して妥協を許さないエンジニア達の高い志があった

 正直なところ、自分はデビュー直後のR35に試乗してあまりピンと来ませんでした。運転スキルや解析能力が低かったことも多分にあると思いますが、それまでのGT-Rとは何かが異なり、自分が思い描くGT-Rとは違うところ(あるいは次元)に行ってしまったようでもありました。しかし後半期の度重なる改良は、乗る度に「そうそうこれこれ」と合点のいくテイストになっていくものでだったのです。これは初代のGT-Rから受け継がれてきた「いつでも、どこでも、誰でも、最高の喜びと経験を与えてくれる、究極の性能を誇るスーパースポーツ」のコンセプトの、特に「いつでも、どこでも、誰でも」の部分を忠実に再現するべく取り組んできた証だと個人的には思っています。

最終仕様となった2025年モデルのGT-R。2024年3月に発表。標準モデルで最高出力570PS、最大トルク637Nmを発揮する

 現在は日産ブランドアンバサダーを務める田村宏志氏は、1997年以来GT-Rの開発に携わり、2001年に発表したR35のベースとなる「GT-Rコンセプト」を手掛けたエンジニアでもあります。R35が毎年のように「誰でも乗りやすい」モデルへと変化を遂げ、一部のGT-Rファンからは「GT-Rに乗っているのかわかりづらくなった(=普通のクルマになってしまった)」とも言われたそうです。でも彼はそれを聞いて「最大の褒め言葉を頂戴したと思いました」と語ったことがありました。「そもそもGT-Rはスカイラインの派生モデルで、いわゆる羊の皮を被った狼だったわけです。だから普通に運転している時は極めて快適で、でもいざとなれば300km/h以上でドリフトもできますよと。これがGT-Rの本性なんです」という彼の言葉に、妙に腑に落ちた記憶があります。

モータースポーツでもいくつもの輝かしい戦績を残している。また2016年には特別なチューニングを施した2016年仕様で、304.9km/h、30度の角度でのドリフトに成功。ギネス世界記録を達成している

これでGT-Rとはお別れなのか?

 最後にラインオフしたR35はミッドナイトパープルのエクステリアカラーを身にまとう「プレミアムエディション T-Spec」で、日本のお客様に届けられるそうです。

R35 GT-R最終生産車。GT-Rの生産は日産栃木工場が担ってきた。この工場は主にFRの車種の生産を行っており、スカイラインやフェアレディZに混じってR35も同じラインを流れていた

 次期型に関する情報はいまのところほとんどないので、「GT-Rが終わってしまった」という惜別の声も多く聞かれます。しかしイヴァン・エスピノーサCEOが「現時点では正確な計画は確定していませんが、GT-Rは進化し、再び登場するでしょう」と述べているので、今回のR35生産終了は、人気バンドの「解散」ではなく「休止」のようなものだろうと思っています。

R35は約4万8000台が生産され、その37%が日本国内で販売されたが、アメリカやイギリスなどでも人気を博したそうだ

 ただし、復活への道はなかなか険しいものであるのも事実です。例えばパワートレインの電動化が進む現代で、次期型のパワートレインはいったいどうするのか。結果としてGT-Rというクルマは、エンジニアの強いこだわりが(どうにかすれば)反映できる、とてもいい時代の中で生きてきスポーツカーでもあると言えるかもしれません。でもきっと、連綿と続いてきたGT-Rの歴史とそれに携わってきた多くの人の血潮を受け継ぐ若いエンジニアが、GT-Rの名にふさわしい次期型を生み出してくれるに違いないと願っています。