写真提供:共同通信社、日刊工業新聞/共同通信イメージズ
インドとその周辺国で形成される「環インド洋経済圏」は、急速な人口増加と経済成長を背景に、国際社会での存在感を高めつつある。本稿では『日本人は知らない!地理で読み解く「環インド洋経済圏」の潜在力』(宮路秀作著/ビジネス社)から内容の一部を抜粋・再編集。この海域で今何が起きているのかを明らかにし、市場拡大の可能性を考察する。
外資系自動車メーカーの誘致をテコに飛躍的な経済成長を遂げたインド。さらなる発展も見込める人口最多国の潜在力とは?
イギリスからの独立と国家主導の経済体制
『地理で読み解く「環インド洋経済圏」の潜在力』(ビジネス社)
こうした多言語・多民族を抱えるインドが、イギリスからの独立を果たしたのは1947年のことです。独立後のインドでは、連邦制をとる一方で、当初は国家主導の経済体制を打ち立てました。国が主導的にエネルギーや基幹産業を整備し、豊富な国内資源と広大な国内市場を活かして、特に繊維工業や鉄鋼業を中心とした工業化を進めていきました。
中でも、古くから存在するタタ財閥は、綿織物や製鉄の分野で大きな役割を果たしました。タタ・スチールやタタ・モーターズなどの企業が成長し、他の財閥や産業集団とともに「輸入代替型工業」の旗を掲げて国産化を進めたわけです。
輸入代替型工業とは、本来輸入している工業製品をなるべく国内で生産し、外国からの輸入依存を減らし、国内産業を育成することを目指した政策です。
インドにおける輸入代替型工業の一例が、自動車産業の発展です。国内の需要を国内の生産で賄おうという方針を背景に、1980年代までにはマルチ・ウドヨグ(現在のマルチ・スズキ・インディア)、マヒンドラ&マヒンドラ、タタ・モーターズといった企業が自動車製造に参入します。なかでも、マルチ・スズキ・インディアは日系メーカー・スズキ(当時は鈴木自動車工業)とインド政府が合弁で創業した企業であり、いまではインドの自動車市場で最大のシェアを誇ります。
1980年代といえば、日系自動車企業のほとんどが北アメリカ大陸へと工場進出していた時代であり、ある意味「すき間」を狙った、インドへの工場進出でした。その時のスズキの社長だったのが、第4代社長だった鈴木修(1930~2024年)さんでした。また、ホンダも、インドの現地企業と協力して二輪車製造を開始し、その後、合弁を解消して単独生産へシフトしています。






