鶏仙渓と「こおろぎ橋」。夏は緑、秋は紅葉が美しい

「旅館は文化事業、社会の公器」という哲学

こうした食と工芸の作り手たちと宿とは、同志として支え合う仲間だ。

「職人未来塾」という集団をつくり、海外向けのカタログに、高名な蒔絵師から木工職人、畳職人、豆腐屋、合鴨農法の米農家まで、工芸と食の職人を紹介している。

興味を抱いた宿泊客が、工房を訪ね、見学、体験もできる。職人たちは「かよう亭」を通じて、コレクターと出会い、活動を広げることもできる。

「私は、旅館は文化事業だと思っています。旅館は社会の公器です」

「公器」という上口氏の言葉には、自身が67年から県議を6期、さらに石川県観光連盟副会長、山中温泉観光協会会長、山中町商工会会長を務めてきた経歴が反映されている。

前衛華道家の勅使河原宏は、投宿して上口氏と意気投合、「山中温泉を生ける」をテーマに、鶏仙狭にかかる「あやとり橋」のデザインをした

「旅館は客を抱え込むのではなく、温泉街全体の繁栄に貢献すべし」

そんな信念で、宿に、街づくりに、熱意を注いできた。山中温泉の街には、どことなく「かよう亭」のもてなしに通じる洗練と落ち着きがあるのは、そのせいだろう。

山中温泉の街並み。昭和初期の火事で全焼し、再建された

成熟するツーリズム。旅館は地方文化の守り神になれるか

インバウンド5000万人時代。各地にスモールラグジュアリーホテルやデスティネーションレストランが急増し、日本のツーリズムは成熟したといわれる。富裕層向けのプライベートリゾートが、テロワールやローカル色を押し出しているのを見ると、かつて異端だった「かよう亭」に追随しているように見える。

しかし、ラグジュアリービジネスは、客に優越感を与えて抱え込むものだ。地域には共存共栄よりも、疎外感や断絶をもたらすことのほうが多いのではないか。これは、「かよう亭」が目指してきたことと、逆行している。

山中温泉の総湯(公衆浴場)「菊の湯」。松尾芭蕉の「山中や 菊は手折らじ 湯のかほり」という一句にちなむ

観光による地方創生が議論される中で、気になるのが、「自然や文化という“資源”を、いかに“利用”するか」という言葉だ。そこにはかけがえのない日本の風土や文化を開発、消費の対象と見るニュアンスがある。環境を破壊して拡大した昭和の観光バブル期の根性が、まったく更新されていないのではないだろうか。上口氏は「かよう亭」を通して、そのことに異議をとなえ続けていたのだ。

この観光景気を、傷ついた日本の原風景 風土の復興に生かせるだろうか。鍵は旅館が握っている、と上口氏は言う。

「観光業は、旅館によって全体の繁栄が導かれる。旅館は地方文化の守り神」

旅館を通して地域づくりに貢献して半世紀。93歳の言葉だ。