
社寺でお参りする際に、口や手を清めるための手水。ここにお花を生ける演出「花手水」をご存知だろうか? 今や、全国の社寺が競うようにオリジナルの花手水をつくり、それがSNSを通じて広がり、花手水を求めて各地を訪ねる愛好家もいる。突如として現れた、現代の社寺の新名物。
しかし、いったいいつ、誰が始めた──?
その発祥は、京都府にある歴史ある山寺だった。
創建1200年、由緒正しい京都の古刹が「このままでは廃寺に‥‥」
京都府長岡京の「柳谷観音 立願山楊谷寺」は、清水寺を開山した延鎮が開創した古刹で1200年を超える歴史を誇る。
山に抱かれた柳谷観音楊谷寺。最寄りの駅から遠く、アクセスは車に限られる
弘法大師が眼病に悩む人々のために祈祷を施した霊水「独鈷水」のご利益が知られ、「眼の観音様」としても信仰されている。皇族との関わりも深く、境内には映画『日本の一番長い日』(2015)のロケ地となった明治時代の建物・上書院があり、そこから名勝庭園を見下ろす絶景など、見どころは多い。
上書院から見下ろす名勝庭園
鏡面の卓を設置し、上下さかさまの絵が撮影できる
しかし、最寄りの阪急長岡天神駅から登山道を90分またはタクシー20分とアクセスが悪いこともあり、震災のあった2011年以降あたりから、参拝者数は徐々に減ってきていた。
本堂の十一面千手観音がご開帳となる毎月17日の縁日にはシャトルバスを出し、100人程度のお参りの人が来るが、平日は数人‥‥ということもあったという。
十一面千手観音が祀られている本堂。17日の縁日にご開帳
住職夫人の日下恵さんは「このままでは、私の代で廃寺になってしまうかもしれない。危機感をしかありませんでした」と振り返る。
1日数人だった参拝者を3万人に。紅葉の手水に10万「いいね」で「花手水」誕生
澄んだ空気と清らかな水に恵まれた境内には、四季を通して自然に花が咲き乱れ、特に紫陽花が美しかった。寺は長年かけて紫陽花5000株を植え、毎年6月に紫陽花ウイークを開催。このイベントを3万人の参拝者をあつめるまでに育てあげた。
おいなり花階段、心参道「ハートの小道」を埋め尽くす紫陽花
「押し花朱印」など、お花をあしらった授与品も考案しメディアに取り上げられる機会も増えた。「花手水」が誕生したのは、「花のお寺」としてのそんなアピールが徐々に身を結んできた頃のことだ。
2017年、日下さんは何気なく、ボウルや水盤に花を生けるように、手水に花を入れて、写真をfacebookに投稿し続けていた。ある日、娘さんの『インスタグラムに上げてみたら?』というアドバイスに従ったところ、青紅葉から真っ赤な紅葉までのグラデーションを浮かべた写真に、10万いいね、4万リツイートがついて、大いにバズった。日下さんはこれを機に、手水への花生けに「花手水」という愛称を付けた。

10万いいねを集めた紅葉の手水は「なないろ手水」と名付けられ、長岡京市市政50周年のシンボルマークにも採用された
手水に花を入れる「花手水」という名は、実は誤用だった
しかしこの「花手水」という言葉は実は違う意味で使われていた。野外の神事などで水が使えないときに、草花や葉についた朝露で手を清めることを花手水と呼んだのだった。いわば誤用だが、今では「花手水」と聞けば、誰もが手水にみずみずしくあしらわれた四季の花を連想する。
ハートの花手水は、第三十一世・日下俊英ご住職が自ら手がける作品。名勝庭園のほとりにある
空からも花を彩る!京都の西山の空を紫陽花色に染める70本のアンブレラ
「紫陽花ウィーク」「押し花朱印」「花手水」と、花をアピールするアイデアで楊谷寺に注目を集めてきた日下さん。聞いて驚くのは、こうした企画を、企画業者やコンサルタントを頼らず、家族ぐるみ、地域の協力でやってきたことだ。
参道は1996年に長岡京市観光協会の観光地整備事業として整備され、約20年かけて「あじさいの名所」として知られるようになった
人気の「紫陽花ウィーク」に、去年からは「アンブレラスカイ」を導入したのも「ショッピングモールで見かけて、うちでもやってみたい、と思いました」という日下さんのアイデアだった。紫陽花プリントの傘を、傾斜の強い山道に吊るのは見るからに困難だが、林業家の助けを借りて70本の紫陽花の傘を設置。手水の手元、参道の足元だけでなく、上空からも紫陽花に包まれるという、世界でもここだけの光景が出現した。
「アンブレラスカイ」は株式会社フェリシモとの共催で、2024年にスタート。70本の紫陽花プリントの傘が浮かぶ
フェリシモは、この傘の開発に「丸い手水に花が浮かぶ花手水をイメージした」そうで、アンブレラスカイは空飛ぶ花手水だ。傘は会場で販売している
シンプルなアイデアを積み重ね、「お花の寺」として人気を高め、観光の閑散期である梅雨時に最大のイベントを開催する。そんな型破りな楊谷寺の試みは、維持存続に悩みを抱える全国の社寺にとっても、大いにヒントになるだろう。
2025年6月30日まで 9時~17時完全閉門
(上書院特別公開は15時まで)
拝観料1000円 (上書院含まない)、2000円(上書院含む)
※高校生以下無料
