文=酒井政人 

2024年5月3日、日本選手権、男子10000mで優勝した葛西潤 写真=アフロスポーツ

創価大の〝ガラスのエース〟が日本一へ

 アスリートがトップパフォーマンスを発揮できる期間は限られている。だからこそ、4年周期で開催されるオリンピックに合わせるのは難しい。チャンスの前髪をいかにつかむのか。

 今夏のパリ五輪。男子10000mで〝最後の1枠〟に滑り込んだのが葛西潤(旭化成)だ。

 葛西は創価大時代、駅伝で大活躍するも故障に苦しんできた。そのため社会人1年目となる昨年はパリ五輪が明確な目標ではなかったという。しかし、今年の2~3月にハイレベルの練習を積み上げると、目標を〝上方修正〟した。日本選手権10000mを制することができれば、チャンスはあると考えたのだ。

 そして5月3日の日本選手権10000m。葛西は残り3周を切ってペースアップする。太田智樹(トヨタ自動車)、それから前田和摩(東農大)を引き離して、真っ先にゴールへ飛び込んだ。優勝タイムは日本歴代4位の27分17秒46。昨年11月にマークした自己ベスト(27分36秒75)を大きく更新した。

「順位もタイムも狙い通りでした。非常に満足しています」と笑顔を見せると、パリ五輪に向けて、「再来週、ロンドンのレースを走らせていただきます。ちょっとポイントが足らなので、本当にイチかバチかですけど、そこで狙いたい」と話していた。

 

ロンドンのレースを無我夢中で駆け抜けた

 パリ五輪10000mのターゲットナンバーは「27(枠)」。日本選手権が行われる前に男子は「24」が埋まっていた。残りはワールドランキング(Road to Paris 24)での〝勝負〟となる。10000mは期間内における2レースのパフォーマンススコア(記録と順位スコアの合計)の平均ポイントで順位がつくが、葛西は日本選手権で優勝しても出場圏内に入ることができなかった。

 しかし、旭化成はパリ五輪の出場枠を獲得するために綿密な計画を立てていた。葛西は元男子10000m日本記録保持者の相澤晃とともに5月18日に英国・ロンドンで開催されるNIGHT OF THE 10000M PB‘Sにエントリーしていたのだ。

 連戦となるが、葛西は〝戦う覚悟〟を決めていた。そしてコンディションも良好だったという。「27分20~25秒くらいで3位以内」で〝出場圏内〟に届くと計算していたが、レースは厳しいものになった。

 想定以上のハイペースになり、葛西は2000mくらいで苦しくなった。周回遅れの選手もいたため、自分が何位を走っているのかわからなかったという。そのなかでも「1人ずつ抜いていき、最後まで絞り出しました」と27分34秒14の4位でゴールに駆け込み、望みをつないだ。

 その後のワールドランキングで〝圏内〟に浮上するも、最終期限となる6月末で29番目に転落した。しかし、出場辞退者が出たため、ターゲットナンバーの27番目、最後の1枠をゲットした。そして7月8日、正式に代表内定が発表された。

 

「入賞ラインを目指して走りたい」

出国前、羽田空港の会見での葛西潤 撮影=酒井政人

 5月に濃密な2レースをこなしたことで、葛西のカラダは悲鳴を上げていた。

「一時は疲労で全然動けなくなったんです。ジョグもまともにできない状態でした」と振り返る。さらにメンタル的にも「代表が内定するまで1カ月半ほどあったので、なかなか集中できない時期もあったんです」とフラストレーションがたまる期間を過ごしたようだ。

 それでも葛西は晴れやかな表情で羽田空港の出国記者会見に現れた。

「日本人選手団は初めましての方ばかりなので、すごく緊張しています」と笑うと、「この1年、右肩上がりで調子を上げて、結果も残すことができました。無事に決まってからは心も体もしっかり調整してこられたかなと思っています。地に足をつけて、自分のできる走り、できる戦い方をしたいと思っています」と本番への抱負を語った。

 10000mの連戦を終えた後、5月末までは休養に充てたという。6月からは「試合で使い切った溜めを取り戻すための脚作り」をメインに行い、6月下旬ぐらいから実践的なメニューで仕上げてきた。

 実績では男子10000mに出場する選手のなかで〝最後尾〟にいるが、葛西は高い目標を掲げている。ターゲットにしているのは〝入賞ライン〟だ。もちろん簡単なレースになるとは思っていない。

「過去のオリンピックや世界選手権を見ていても、レースパターンがバラバラです。なかなか想像できないレースになるかなと思うんですけど、どんなパターンでも対応できるように練習してきたつもりなので、臨機応変に対応していきたいです」

 世界大会は国内レースと異なり頻繁にペースチェンジがある。その揺さぶりにリズムを崩す日本人選手がほとんどだが、葛西は自身の持ち味を存分に生かすつもりでいる。

「自分の強みは粘れるところ。ラストまで粘ってつくことができれば、その後は根性で乗り切りたい。そうすれば入賞ラインが見えてくるかなと思っています。もちろん簡単ではありませんが、そのチャンスはあると思うので、目標を下げずに頑張っていきたい。最後まで一緒に戦った相澤晃さんなど、多くの方に支えていただきました。この舞台を楽しみたいですし、それ以上に恩返しの走りができればいいなと思っています」

 男子10000m決勝は8月3日の4時20分(日本時間)。26分台のタイムを持つ選手たちがゴロゴロいる異次元レースに葛西が向かっていく。