亡妻の妹を後妻に

 蔵人頭を7年務めた行成は、長保3年(1001)8月、30歳のとき、待望の参議となった。

 行成は18歳のときに、当時14歳であった左京大夫源泰清の娘を妻としているが、その妻が翌長保4年(1002)10月16日に死去している。

 行成は妻の死からまもなくして、亡妻の妹を後妻とした。

 行成は参議になって以降は順調に昇進し、寛仁4年(1020)11月には、権大納言に至った。これが行成の極官であり、行成の日記『権記』の名は、この権大納言からきている。

 

恪勤の上達部

 一条天皇から厚く信任されていた行成であるが、長保2年(1000)、一条天皇の中宮・高畑充希が演じた定子を皇后にし、道長の娘・見上愛が演じる彰子を中宮とする、前代未聞の「一帝二后」を躊躇う一条天皇を説得したり、寛弘8年(1011)5月、一条天皇の譲位にあたり、皇太子には一条天皇が望む定子が産んだ敦康親王ではなく、彰子が産んだ敦成親王(後の後一条天皇)を立てるように進言したりするなど、道長が有利になる行動をとっている。

 秋山竜次が演じる藤原実資は、彼の日記『小右記』寛弘2年(1005)5月14日条において、行成ら数人の公卿を「恪勤の上達部」(道長への追従に励む公卿)と揶揄している。

 揶揄されようとも、有力な血縁を失っている行成にとって、けっきょくのところ頼れるのは、道長だったと思われる(黒板伸夫『人物叢書 藤原行成』)。

 

「四納言」にして、「三蹟」

 道長は、万寿4年(1027)12月4日、62歳で死去した。行成も奇しくも同じ日に、56歳で、この世を去っている。

 行成は町田啓太が演じる藤原公任、金田哲が演じる藤原斉信、源俊賢と並んで、一条朝の「四納言(しなごん)」の一人に数えられる。

 さらに、能筆家としても著名で、後に、小野道風・藤原佐理とともに、「三蹟」と称された。行成の書は、多くの人々が欲しがったという(倉本一宏『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』)。

 一代の栄華を極めた道長の影に隠れがちだが、行成の人生も充分に輝かしいものであったといっていいのではないだろうか。