今回は大河ドラマ『光る君へ』では、渡辺大知が演じる藤原行成を取り上げたい。意外に苦労人でもある行成の人生とは、どのようなものだったのだろうか。

国宝《白氏詩巻》部分 藤原行成筆 平安時代・寛仁2年(1018) 東京国立博物館蔵 出典=ColBase

文=鷹橋 忍 

祖父と父を失う

 藤原行成は、天禄3年(972)に生まれた。藤原道長よりも6歳年下となる。

 父は、摂政の藤原伊尹(段田安則が演じた藤原兼家の兄)と恵子女王(醍醐天皇の皇子・代明親王の娘)の間に生まれた藤原義孝。

 母は、源保光(代明親王の皇子/醍醐源氏)の娘である。

 本郷奏多が演じる花山天皇の母・藤原懐子は叔母で、高橋光臣が演じる藤原義懐は、叔父にあたる。

 輝かしい家系に生まれた行成であるが、祖父の伊尹は行成が生まれた年に49歳で、父の義孝は天延2年(974)に21歳の若さで没してしまう。

 僅か数え3歳で父を亡くした行成は、外祖父・源保光の庇護を受けて育った。

 保光は漢学に造詣が深かく、故実先例の分野でも一流であったと思われ、行成は祖父から充分な教育を受けたと推定される(黒板伸夫『人物叢書 藤原行成』)。

 

つかのまの栄光

 神武天皇(第一代と伝えられる天皇)の代から明治元年(1868)までを記録した朝廷の歴代の職員録『公卿補任』によれば、行成は永観2年(984)正月7日、13歳で従五位下に叙せられた。

 同年8月、坂東巳之助が演じた円融天皇の譲位により、皇太子の師貞が即位し、花山天皇となると、行成の一家は天皇の外戚の地位を得た。

 行成の叔父・藤原義懐は、花山天皇が即位するや蔵人頭となり、翌寛和元年(985)には権中納言に昇進するなど、めざましい躍進を遂げていく。

 行成も寛和元年12月に侍従に任じられ、翌寛和2年(986)2月には、昇殿(花山朝)を許されている。

 ところが、寛和2年6月、行成一家の頼みの綱である花山天皇が出家・退位し、皇太子・懐仁が7歳で即位し、一条天皇となった(寛和の変)。叔父の義懐も出家してしまった。

 一条天皇の外祖父・藤原兼家(伊尹の弟)が摂政となり、政権は兼家の一家に推移した。