三菱地所(旧:三菱社)が、1894年竣工の「三菱一号館」を皮切りに、東京・丸の内で日本初のオフィス街の整備を始めてからおよそ130年、同社はさまざまなオフィススタイル・働き方を提案してきた。
近代日本の黎明期には、ロンドンの金融都市・ロンバード街を手本にした洒落たレンガづくりのオフィス街を。昼食をとる暇もないほど忙しい経済の高度成長期には社員食堂を完備するとともに、旺盛なオフィス需要に応えるためビルを高くして床面積を増やし、地下には商店街がそろっている効率的なオフィス街に生まれ変わらせた。
2000年代に入ると、ブランドショップやカフェ、レストランなどが立ち並ぶ、土日も人が集まるアメニティと賑わいを取り入れた商業地区とビジネス地区が融合した街に再び、生まれ変わらせる。社会が成熟し、「働く」だけではない豊かさが求められるようになると同時に、仕事か遊びか区別がつかないようなおしゃべりの中から仕事のヒントが生まれるような環境、想像力や個性が求められる時代になったからだ。
丸ビル竣工の2002年からは丸の内を「再構築」する第1ステージ。丸の内パークビル竣工の2009年からは第2ステージ。そして、2020年から新たに『丸の内NEXTステージ』を始めた。今度はどのようなオフィススタイル、どのような働き方を提案してくれるのか。三菱地所 コマーシャル不動産戦略企画部 ビジネス戦略ユニット 主事の西地達也さんと副主事の鎌田玄徳さん、広報部の小西夏香さんに聞いた。
今後は老朽化したビルの再開発では難しい
「2020年以降の丸の内エリアの街づくりは、『丸の内NEXTステージ』と呼ぶようになりました」と話すのは鎌田さん。これまでは、2002年の丸ビル竣工のように、老朽化したビルの再開発に合わせて、ほぼ10年おきに新しい試みに取り組んできた。公共空間をうまく使って賑わいを出したり、スタートアップ企業の支援をしたり、大学と提携するなど、先端的な取り組みをしてきたのは、その例だ。
しかし、今後の日本を考えると、老朽化したビルの再開発に合わせて第3ステージ、第4ステージを提案していくといったやり方は難しい。今後は日本の人口は減少していくので、必要な床面積も減っていくとも考えられる。
「そこで10年を待たずして、常に次の街の在り方を見つけてどんどんアップデートをしていきましょうということで、NEXTステージという言い方になったのです」と西地さん。
丸の内エリアといっても、人によって思い浮かべるエリアは違うかもしれない。同社で言っているのは、住所でいえば大丸有(大手町・丸の内・有楽町)。『丸の内NEXTステージ』では、東京駅の日本橋口の常盤橋周辺、古いオフィスビルが並ぶ有楽町周辺を重点的に整備するという。
「常盤橋の整備によって日本橋、八重洲、神田などがつながり、有楽町が整備されれば、日比谷、銀座、内幸町などとつながり、丸の内がさらに広がるというか、他のエリアにしみ出していくのではないでしょうか」(西地さん)