印刷業界の中核を担ってきたオペレーターたちの高齢化が進む今、若年層への技術継承が大きな課題となっている。デジタル化の波やコロナ禍での変化、SDGsなど、社会が目まぐるしく変容する中で、印刷会社の経営者たちはこれらの課題にどう向き合い、どのように現場を変えていくべきなのだろうか。
印刷および関連産業の発展、貢献を目的として1967年に創立された内閣府認定の公益社団法人日本印刷技術協会(以下、JAGAT)専務理事の郡司秀明氏、研究調査部 部長 主幹研究員 藤井建人氏、CS部 部長 塚本直樹氏に話を聞いた。(聞き手は、株式会社日本HPで長年マーケティングを率いてきた甲斐博一)。
コロナ禍が印刷業界にもたらした変化
甲斐博一(以下、甲斐) 新型コロナ感染拡大とその対策によって人々の生活様式や働き方が変化したことは、印刷業界にどんな影響をもたらしましたか。
郡司氏 大きく3つの影響があると考えています。
1つ目は、イベントや展示会の開催中止にともなう需要減。特にイベントを中心としていた商業印刷や、アパレル以外の大判印刷では、ダメージは大きかったでしょう。ブライダルや観光関係のパンフレットの需要も激減しましたね。
2つ目は、印刷物の必要性が問い直されていることです。例えば、スーパーのように生活必需品を販売しているところでは、チラシを減らしても売上が減らない、という現象が起こりました。印刷会社としては目を背けたくなるような現実ですが、これからの印刷業界は、「本当に意味のある(=売上に直接貢献できる)印刷物をつくれるか」がシビアに問われることになるはずです。「1円でも安く刷ればいい」という時代が終わろうとしています。
まずはどうやって売り上げや利益に貢献していくのか。そして少し値段が高くても、「こんなに安心・安全で良い素材を使っていますよ」といった付加価値をしっかりお客様に理解していただき、差別化を図っていくことが大切です。
3つ目は、デジタル化が進んだこと。これからの受発注はオンラインでプラットフォーム化されていくと思いますし、デジタル印刷の普及もこれを機に急速に進むのではないかと思っています。
デザイナーとマーケティング人材が求められる時代に
甲斐 外部環境の変化に加えて、多くの印刷会社では、オペレーターの高齢化など、人材に関する課題も山積しています。熟練工の退職や若手人材の採用難といった課題に対し、経営者はどのように取り組むべきでしょうか。
郡司氏 とにかく印刷会社に必要なのは、“広義のデザイナー”だと考えています。お客様のマーケティング活動全体を理解し、それをデザインできる人材ですね。
塚本氏 オンラインとオフラインの組み合わせによって「体験をデザインできる人材」も必要になってくると思います。例えば、今はオンラインのイベントが増えていますが、オンラインのイベントのチケットを特別感のある招待状として、あえてオフラインで郵送する。そのチケットにはバリアブルで印刷されたQRコードが載っていて、そこからオンラインイベントの申し込みページへ誘導する、といったイメージですね。こうしたオンライン時代ならではの印刷物を考えられる人材は、とても貴重だと思います。
郡司氏 そうそう。そういった話を顧客と話せる営業担当がいないことが、まず問題ですよね。かつての営業担当やマネージャーは、プロ野球かサッカーかゴルフの話をしていればよかったけど、今はマーケティングの話ができないと。ちゃんと顧客の課題に踏み込んで、顧客と肩を並べてマーケティングの話ができるデザイナーがいる会社は、実際に伸びていますよ。
藤井氏 マーケティングといえば、どこにどうチラシをばら撒くのか、チャネルの設計についても、しっかり顧客と話す必要がありますよね。チラシにも折り込み・ポスティング・手配り・同梱チラシと4種類くらいありますが、目的に応じた媒体の使い分け方について議論する必要があります。継続的にコミュニケーションを取るならばオンラインに軍配が上がりますが、リアルなタッチポイントを重視するならオフラインの紙が必要なわけですから。価格競争でオンラインに勝とうとするのではなく、そうした紙の良さをしっかり伝えていくことが大切だと思います。
郡司氏 要するに、これからの印刷会社は「紙 VS. Web」で紙のことしか考えないというのじゃダメで、「紙 and Web」の発想で両方のことを考えていかないといけないということです。それができる若い人材を雇うには、採用のやり方も変える必要がある。若い人に「この業界は自分が定年を迎えるまで安泰そうだ」と将来性を感じてもらわないといけないわけです。
機械の自慢をしているだけでは伝わりませんよ。ちゃんと若い人の視点に立って、どうすれば魅力的に映るかを考え直さないと。あとは、これまで印刷業界ではあまり中途採用の文化がありませんでしたが、発注者側にいた人を採用して企画部門に入ってもらうことは、自社のデザイン力を上げるためにとても有効だと思います。
次代を担う人材をどう育成していくべきか
甲斐 人材の課題について考えるときには、人材育成の視点も重要になってきます。今後、印刷業界においては、どのような人材育成の視点が求められるのでしょうか。
藤井氏 経営者の目下の課題は、職人の技術継承についてです。今後、新しい人を雇ったとして、オフセット印刷をはじめとする旧来技術をここから5年も10年もかけて教え込むのかと。今の機械が耐用年数を迎えたときに、本当に今と同じ旧来の技術やインク方式の印刷機をまた買うかどうかわからないじゃないですか。
オフセット印刷機の例でいえば、非常に品質はいいけれど、デジタル印刷との共存の道を探ることは避けられません。これからはオープンイノベーションの発想で、自社の経営資源とパートナー企業の経営資源を組み合わせて、新たな価値を生み出すことが重要になっていくので、これまでの技術の伝承にとらわれるのではなく、自社の強みをつきつめ、それを磨くような育成を行なっていくことが一つの解になるのではないでしょうか。
郡司氏 日本もコロナ禍で若い人を気長に育てる余裕はなくなってきています。だからこそ、新しく雇う人はアメリカのように即戦力として、デジタル印刷に携わってもらう方向になっていくのではないかと思いますね。
塚本氏 2020年夏にJAGATで実施した意識調査によると、新卒や若手の人材に関して、印刷・部門ではなく、ビジネスをつくっていく「営業・企画部門」に投資をしたいという結果が如実に表れていたんです。教育についても、これまでわずか数%しかいなかった「IT・デジタル」の領域を強化したいと回答した企業が40%を超えていました。こうした結果を重ねてみると、今の印刷業界の経営者が考えている方向性が見えてくると思います。
本来であれば、こうしたスキルを持った人材を別の業界から採用するのが一番いいとは思うものの、IT・デジタルに強い人材は、他の業界からもオファーがたくさんありますし、給与面で折り合いがつかないことも多いので、あまり現実的ではないというのが現状です。しかし、明るい兆しもあって、約400人の新入社員にアンケートを取ったところ、印刷業界に対して「マーケティングを支援している」というイメージを持っている人が約38%もいたんですね。
近年は企画やデザインの領域で活躍の場を求める人が増えていると思いますし、印刷業界に入ってくる人材の質が変わっていることを実感しています。だからこそ、育成ではマーケティングに力を入れることが重要ですし、業界全体のイメージを“マーケティング支援業界”へと変えていけるよう、積極的に情報発信していくことが大切なのではないでしょうか。
郡司氏 ちゃんと人材育成に投資している会社はしっかり売上も伸びている、という傾向が明らかにありますよね。
塚本氏 そうですね。JAGATで行なっている教育プログラムの中でも、単純にセミナーを受けるだけではなく、長期にわたって実践的に自社のビジネスを考えていく「コンサルティング型の研修」が人気です。印刷業界に求められているニーズの変化を敏感に感じ取り、危機感を持って動き出そうとしている企業では、人材育成にも積極的に投資をされているようです。
今だからこそコロナ後を見据えた取り組みを
甲斐 事業や経営の持続性を考えるとき、近年はSDGsといった視点も求められています。2020年後半には菅首相が2050年カーボンニュートラル宣言を発したことで、一層注目を浴びるようにもなりました。印刷業界から見たときに、こうした環境問題とはどのように向き合うべきでしょうか。
郡司氏 なかなか難しい話ですよね。紙はリサイクルもしっかりしているので、そもそも環境に悪い素材ではないはずなんだけど、大量消費のイメージが強くて、どうしても悪者にされがちです。
藤井氏 環境に良いにせよ悪いにせよ、あまり環境を営業に出し過ぎないほうがいいと思います。あたかも環境に悪いことが前提、というような印象を与えかねません。紙をつくるには木が必要で、木が育つということは大気からCO2を吸収しているということ。成木はCO2を吸収しなくなるので、間伐したり、適切に幼木に植え替えたりすることで、健全な森林が保つことが大切です。「紙はライフサイクルがしっかりしていて、とてもサステナブルな素材」ということをきちんとアピールしていくべきだと思いますね。
私は「プラスチックから紙へ」という昨今の動きを“紙化(=ペーパナイズ)”と呼んでいますが、電子化の反対ともいえるこの動きは間違いないので、こうした取り組みを今後も加速させていくべきではないでしょうか。
甲斐 では最後に、印刷業界の経営者に向けて、メッセージをお願いします。
郡司氏 中小企業に関しては、今こそ設備投資をしてアフターコロナに備えるべきだと思いますね。確かに今は苦しいと思いますが、たとえ赤字になってしまったとしても、今期ならまだ許してもらえるはず。コロナ禍というエクスキューズが効くからです。合理化するための何かをやるなど、新しい挑戦をするなら今しかありません。
他方、中堅企業に関しては、設備投資に加えて、人材育成にもしっかり力を入れるべきですね。コロナ禍でオンライン化が進んでいて、手軽にセミナーを受講できる環境も整ってきています。印刷業界は限りなく100点に近い品質で勝負してきたので、失敗を恐れる体質にあると思うのですが、変化の激しいこんな時代だからこそ「失敗したっていいじゃない」と思うんです。失敗を恐れて何もしないよりも、トライ&エラーを重ねながら挑戦をしていくことのほうが、よっぽど大切なことだと考えています。
藤井氏 まさに今は種まきの時期。どれが咲くかはわからないからこそ、いろいろな種をまきながら、虎視眈々とアフターコロナを狙っていくことが大事です。今それをする企業としない企業では、後々大きな差が開いてしまうと思います。
塚本氏 そうですね。投資をすると同時に、それを回収するためのビジネスも考えなければなりません。また、今はこんなときだからこそ、国の支援が増えているんですね。例えば経済産業省の「事業再構築補助金」(https://www.meti.go.jp/covid-19/jigyo_saikoutiku/index.html)。新分野展開、業態転換、事業・業種転換など、事業再構築に意欲を有する中小・中堅企業を支援するものです。中小企業なら補助率2/3で100万円〜6,000万円までの補助が受けられるので、これは本当に投資のチャンスですよ。
あとは、東京都の「中小企業人材オンラインスキルアップ支援事業」のような、各自治体による人材育成に関する助成制度などもあります。JAGATでも複数の人材育成プログラムを用意していますので、こうした情報をどんどんキャッチアップしながら、未来への投資とビジネスの創出を両輪で回してもらえたらと思います。
<インタビューを終えて>
郡司氏をはじめとしたJAGATの3名へのインタビューは、印刷業界にとってこの厳しい状況の中でも終始愛情を感じるものとなった。特に今回のテーマは人材の採用や育成に関わるものだったこともあるが、長年業界を知る彼らにとっては変化の必要性はわかっていながらも、なかなか手がつけられない会社が多いことに大きなジレンマを感じながら、どうやったらそれが実現させられるのかを同時に考え提案している。
変化の話がしやすいデジタル印刷の話題が多く出てきたが、会社によっては印刷をやはり強みとしてとらえ、優良顧客により深く広いサービスを展開するために、大判印刷やテキスタイル印刷へと業務拡大していく会社も存在する。まさに政府の支援金などが活きる拡大の仕方である。その際、環境により配慮したインキの活用を前提に新規サービスを計画したり、変わりゆく市場を新しい視点からとらえるようなマーケティング人材を同時に強化しながら行う多角化も、より実践的だ。彼らの目線の先には自力でそういった事業化ができる人材が多く業界に育っていく、明るい未来が見えていることを強く感じたと付け加えておきたい。
<JAGATが提供する人材育成プログラム>
■印刷経営幹部ゼミナール
~印刷業の次世代を担う経営幹部育成プログラム~
https://www.jagat.or.jp/archives/77384
■工場マネージャー養成講座
~管理者に求められる工場マネジメントの知識と実践手法を学ぶ~
https://www.jagat.or.jp/archives/43621
■印刷営業20日間集中ゼミ
~知識から実践へ!体験しながら営業プロセスを学ぶ~
https://www.jagat.or.jp/archives/81764
■印刷ビジネス開発実践講座
~将来に向けて新たな収益の柱を創る~
https://www.jagat.or.jp/archives/37407
■印刷総合研究会
~オンラインで地方からの参加が増えています~
https://www.jagat.or.jp/about_pri