
「生成AIはとにかく使い倒せ」──。こう語るのは、元グーグル米国本社副社長の村上憲郎氏だ。生成AI時代に、日本企業の“人と組織”はどう変わっていくべきなのか。テクノロジーの進化の歴史を最前線で見続けてきた村上氏と、アントレプレナーシップ教育を実践する武蔵野大学の伊藤羊一氏が、AIと人間の役割分担や組織の課題について議論した。対談の内容から課題解決の可能性を探る。
今のAIにつながるテクノロジーの変遷を黎明期から見てきた村上氏
伊藤羊一氏(以下、敬称略) 私たちの世代からすると、村上さんはまさにレジェンド的な存在です。個人的には、ビジネスだけでなく、アカデミアの世界でも大先輩に当たります。そんな村上さんとお話しできることを楽しみにしていました。まずは改めてこれまでの経歴を簡単にご紹介いただけますか。
村上憲郎氏(以下、敬称略) 私のことをご存じの方は、元グーグル米国本社副社長としてご記憶いただいている方も多いと思いますが、それ以前にも複数の企業を経てきました。キャリアの出発点は日立電子という会社です。そこでミニコン(ミニコンピュータ)の開発に携わり、コンピュータサイエンスを一から学びました。
私が若手だった1970年代当時、日本のコンピュータ産業のほとんどは米国製品の模倣でした。そんな中、当時の米国を代表するコンピュータメーカーであったDEC(Digital Equipment Corporation)社が32ビットの画期的なマシンを発表したのです。
そのマシンを知った時、私は「もはやコピーでは太刀打ちできない」と痛感したのを覚えています。結果的に、技術の源流に触れるべく、私は日本DECに転職しました。振り返れば、この転職が大きな転機だったと思います。
日本DECに移ると、私は、当時の通産省が日本DECとともに立ち上げた「第5世代コンピュータ」プロジェクトに携わることになりました。これがまさにAIのプロジェクトだったのです。
伊藤 国内でも、そんな時代に、AIに関する国家的なプロジェクトがあったんですね。
村上 1980年頃のことでした。いわゆる第2次AIブームの時期ですね。当時は「エキスパートシステム」と呼ばれ、医師や専門家の知識をデータベース化して推論を行うものでした。
後に知ったところによると、実は当時、DECのマシンは、米国のAI研究の主力機として使われていたようです。ハードウエアだけでなく、その上で動く最先端のAIソフトウエアや研究動向を日本側に橋渡しすることが、私の主な役割となっていました。
伊藤 だとすると、村上さんが2003年にグーグルに移られた際にも、AI関連の経験が関係していたということでしょうか。







