写真提供:Girard Thomas/Abaca/共同通信イメージズ、Blondet Eliot/ABACA/共同通信イメージズ

「知識とは成果を生むために体系化された情報である」。最晩年のインタビューでドラッカーはこう語った。生成AIが膨大な情報を瞬時に扱える今、「知っている」ことの価値は大きく減った。テクノロジー時代に人間にしかできない役割とは何なのか?

ドラッカーが最晩年に語った「テクノロジスト」

 ChatGPTをはじめとする生成AIは、驚くべき速度と精度で文章を生成し、われわれの質問に応答する。その流暢(りゅうちょう)な様はまさに「立て板に水」。森羅万象を全て「知っている」かのようだ。

 だが、ここで一度立ち止まり、冷静に問わねばならない。AIは本当に「知っている」のか。いや、そもそも「知っている」とは何なのだろうか。

 この問いに対し、20世紀最高の経営学者ドラッカーは明快に定義している。彼は「知識」を「成果を生むために、高度に体系化された情報」とした。つまり、単に情報を持っているだけでは「知っている」とはいえず、それを成果に結びつけて初めて「知識」になるということだ。

 最も重要なのは、「成果を生むために」という部分である。情報は、いかに膨大かつ正確であっても、それ自体はインプットされたデータに過ぎない。それが、外部の世界(例えば顧客、市場、社会)に適用され、「成果」という具体的なアウトプットを生み出して初めて「知識」として結実する。

 例えば、税理士は税務上の知識を体系的に保持している。だが、それだけでは仕事にならない。自らが持つ情報を、顧客の個別具体的なニーズ(「節税したい」「スムーズに事業承継したい」「納税の手間を省きたい」)に合わせて適用し、申告や助言という「行動」を通じて初めて業務を遂行したことになる。

 ドラッカーのこの考えは、彼が最晩年のインタビューで語った、来るべき時代の主役「テクノロジスト」の定義と完全に一致している。