
私のチームに時計師はいない
──そもそもはビュッテさんは時計師なのでしょうか?
それはちょっと難しい質問ですね。私が時計に関わったのは、言ってしまえば偶然ですし、時計師になるための学校に通ったわけでもありません。若い頃の私はサイバネティクスのような分野を専攻していて、例えば、事故などで体の一部を失った子どものための義手の研究をしていました。ただ、ずっと研究ばかりをしているわけにもいかなくなりまして……というのも、子どもがふたりいたんです。
そこで、ちゃんとした仕事として「ヌーヴェル レマニア」に入れてもらえることになったのですが、それは以前に知り合ったムッシューがヌーヴェル レマニアのテクニカルディレクターだったからです。このムッシューと知り合った当時、確か1979年だったはずですが、その頃はブレゲに買収されるという話をしていました……ただ、当時の私は「ブレゲって何? 時計メーカー?」みたいな状態だったんですよ。
ヌーヴェル レマニアに入ったのは1987年です。この頃、ヌーヴェル レマニアはトゥールビヨンをつくろうとしていました。でもトゥールビヨンはまだ、懐中時計のためのものという認識の方が強い時代で、腕時計用のトゥールビヨンの前例はゼロではないものの、ほとんど初めてみたいな状態でした。
当時はインターネットなんてないですからね。私は家の柱みたいな量の本を借りて家に帰ったんです。それで妻に「聞いてくれ、仕事を見つけたぞ」と。ヌーヴェル レマニアの仕事だと言ったら妻は「時計屋さんでしょ? あなたできるの?」と心配したのですが、9カ月後には腕時計として売れるトゥールビヨンを2種類、完成させました。

──すごい情報量で混乱気味ですが、ビュッテさんはいきなりトゥールビヨンがつくれたということですか?
いきなりではなく9カ月ですね。それだけあればモノにできました。なぜかというと、私には時計が難しくなかったんです。それまでやっていたメカはもっと複雑でしたから。時計で難しいことと言えば、小さいことくらいでした。
──先ほどマテリアルのお話もありましたが、いま、ウブロではどんな風に仕事をしているのですか? 時計師のチームを率いているのでしょうか?
私が率いているチームは私を含めて10人なのですが、そこに時計師はいません。
BNB時代には180人くらいのチームで仕事をしていました。でも、私はこれはあまりいいとはおもっていなかったんです。なぜなら、人間同士のつながりみたいなものが失われるから。経営の問題とは別に、BNB時代から人を減らしたいというおもいはありました。
だからウブロで、ジャン-クロード・ビバーさん(2004年にウブロのCEOに就任し、2005年の『ビッグ ・バン』の発表など、ウブロを躍進させた人物)が時計師、機械、パテント担当などからなる30人のコンパクトなチームを私のために組織してくれたのは嬉しかったです。
ビバーさんとは仲が良いんです。ただ結局、私はそこからチームを10人にまで減らしてしまいました。そこで時計師もいなくなったんです。なぜかと言うと……例えばMP-05ラ・フェラーリのような時計をつくります、となったとします。そういうときに普通の時計師は「え?そんなのできないです」と言うものなんですよ。前例がないから、どうやったらできるのかが分からない。
普通の時計師は決められた道を走るような仕事をしています。でも私は目的地に至る道が既にある必要はないとおもっています。目的地に至ることが大事なのであって、そこまでの道は探せばいいんです。

今のチームは10人のなかの2人がマテリアルのスペシャリスト、ロボットのエンジニアもいます。星の重さを量れてしまう宇宙工学の専門家もいますよ。でも時計師はいない。このチームに、私がなにか突拍子もない時計のアイデアを話したら「よし。じゃあ何色にしようか?」というところから話がはじまります。みんな時計以外の様々な分野の専門家だから、信じられないようなアイデアがどんどん出てきて、見たこともない時計ができるんです。
子どもであれ!
──ビュッテさんはどこからそんな人材を見つけてくるんですか?
ローザンヌのポリテク(エコール・ポリテクニーク。ヨーロッパの実学系の高等研究・教育機関。多くの場合、専攻分野では国立大学院よりもエリート教育をおこなう)の学生のなかから、いいなとおもう人に声をかけることが多いですかね。インターンで来てもらって、相性がよければ一緒に仕事する。だからいまのチームは平均年齢が30歳くらいの若いチームなんです。
──若いエリートたちなんですね。それはそれで難しい人が多いのでは?
重要なのは、遊びたいとおもっている人を見つけることです。大人っぽくない人。「僕、知ってるよ」なんて言う人はダメです。自分は何も知らないという姿勢が大事なんです。どうして?どうして? と子どものように考える。私はそういう人と一緒に仕事したい。大人は質問することをやめてしまうものです。
──私の個人的なウブロの印象は、いつもなんだか楽しい時計メーカー、です。例えば、いまビュッテさんの腕にある鮮明な赤、あるいはクリスタルのスカイブルー。こういう色は高度な技術的達成によって実現していながら、重厚で威圧的な時計の表現とは一線を画しているとおもいます。それってもしかして……

私たちが子どもっぽいから、という理由はあるとおもいますよ。私は、もう4回も結婚してる……つまりそれだけフラれているんです。理由はいつも「いつまでも子どもっぽい」です。
チームのみんなも子どもっぽいとおもいます。だからしょっちゅう失敗もするのですが、子どもっぽいというのは、人として感じがいいということでもあります。エラそうにしないで、他人には敬意を持って接しますから。
週末はよく私の家に集まって、飲んだり食べたり一緒にゲームをして、そのまま泊まっていくこともあります。そういうところからプロジェクトが生まれることもあるんですよ。
「こんなことできそうじゃない?」と誰かが言いだすと「だったらこうしようか?」「こんなこともできるぞ」と、どんどんアイデアが出てきて、実際につくってみて、ちょっとずつちょっとずつ形になっていくんです。
保証は常にない
──とはいえ、ウブロで1部門を率いるとなれば、大人の側面も必要ですよね?
たしかに、そこは私の仕事ですね。政治というのでしょうか。他部署のディレクターや役員を説得する。こんなステキな技術ができそうなんだけど、どう?って……

──それで「いいね!」となるのでしょうか?
ジャン-クロード・ビバーさんは理解ある人物でしたよ。よく、そんなアイデアに「いいね!」って言ってくれましたから。とはいえ、そのあとに、これをつくるには4~5個くらいの新しい機械が必要で、全部揃えると500万ユーロくらい、なんて私が言うと「おいおい、君はナニを言っているんだ?」となるのですが……
ただ、じゃあやめよう、諦めよう、はナシです。私たちの仕事はこれまでにないものをつくること。うまく行くとか売れるとか、そういう保証は常にありません。できるかどうかさえわからない。だから「そんなの不可能だ」と言ったらなにも成し遂げられません。
この鮮やかなレッドセラミック、世界で初めての傷がつかない18Kのマジックゴールド。ウブロはこれまでになかったものをつくっています。それは、得体の知れないものに投資してきたということです。
正直に言えば私もちょっと不思議なんです。これまで失敗していないって……
──すべてが成功してるんでしょうか?
もちろん、うまく行かなったプロジェクトはたくさんあります!
10人のスペシャリストチームということは、10プロジェクトは同時進行しているということでもあるんです。私に「来年はどういう計画ですか?」なんて聞かないでください。その答えは「うーん。それは……わからない」ですから。
なぜなら、このプロジェクトはいまのところうまく進んでいる、でもこちらは大きな壁にぶつかっている、なんていうことはよくあることなんです。壁を越えられる技術的なブレイクスルーを待つしかないこともあれば、すごい発見をして、急激にいくつものプロジェクトが前に進むことだってあります。

もちろん会社の問題もあります。私たちが研究開発しているときには、まだそれによって生み出されたものが最終的にどういう製品になるかはわかりません。例えば、この赤は……ああ、赤いセラミックができるって言ったのは私たちですね……とはいえ、それがビッグ・バンに使われるのかクラシック・フュージョンに使われるのかまではわからないですし、会社が1年で2つの新技術を発表したいときに3つの新技術ができていたら3つ目は待ちの状態になります。待っていたら、そのうちそれが目新しくがなくなって日の目を見ないこともあります。すべてが日の目を見るわけじゃありません。あ、そうだ、日の目を見ると言えば……
──はい?
