ヴェンテージシャンパーニュ、つまり望むブドウが収穫できた年にのみ、その年のブドウだけを使ってシャンパーニュを造ることをアイデンティティとしているドン ペリニヨンが、5年前「ドン ペリニヨン ソサエティ」なる組織をつくった。今年、このソサエティに日本の人気レストラン「été」のオーナーシェフシェフ・庄司夏子さんが加入したとのことで、ドン ペリニヨンから醸造最高責任者ヴァンサン・シャプロンさんが来日した。

右がドン ペリニヨンの醸造最高責任者ヴァンサン・シャプロンさん、左が庄司夏子シェフ

修道士とワイン

よく調べてみたら、これまでJBpress オートグラフではドン ペリニヨンの話をきちんとしたことがなかったようだ。

ドン ペリニヨンはワイン界を代表する高級・高品質なシャンパーニュ地方のワイン造り集団だ。そして、その名前は同地方のワイン、つまり産地と同じくシャンパーニュと呼ばれるスパークリングワインの高品質化に大きな役割を果たしたとされているベネディクト会の修道士、ドン・ピエール・ペリニヨン(1638-1715年)に由来している。

ブドウ栽培から醸造、熟成まで、現在、広く普及しているワイン造りの手法には、修道士ドン・ペリニヨンにその起源が求められるものがいくつもあるとされる。なかには通説・俗説に過ぎないものもあるようだけれど、シャンパーニュ地方内の異なる場所、異なる品種のブドウからワインを造り、それらをブレンドすることでワインの質を高めるという手法の確立に、修道士ドン・ペリニヨンが大いに貢献したのは事実のようだ。

今よりもずっと寒冷だったといわれる17世紀、18世紀のシャンパーニュ地方。年によってブドウの品質はまちまちで、いかに質の高いワインを安定して生産するかは業界共通の課題。ブレンドによってワインの質を高めるという手法は、この課題の解決策として生み出されたものだろう。

こういう現在では当たり前に行われているワイン造り手法の起源に、修道士が関わった例はドン・ペリニヨンとシャンパーニュ以外にも色々とあって、それはワインとキリスト教の間に長く深い関係があるから。ブルゴーニュの名高いブドウ畑の区画なども、修道士の真剣なワイン研究によって発見されたものが多い。

ドン ペリニヨンのソサエティ

この話がこの記事の主な話題である「ドン ペリニヨン ソサエティ」に、あとでつながる。

ドン・ペリニヨン修道士の時代から300年、シャンパーニュは最高峰の飲料として世界に君臨し、特に評価の高い高級シャンパーニュメーカーともなれば、もはや単に上質な飲み物の生産者にとどまらない。数々の価値をファンに提供するラグジュアリーブランドとしての顔は当然のようにあり、世界的知名度のあるシェフを招いてのシャンパーニュと料理との調和を楽しむディナー会などというのは定番のファンサービスだ。もちろん、ドン ペリニヨンも以前から、こういったお得意様への特別な催しはやっていた。

「ドン ペリニヨン ソサエティ」はこれに5年前から名前を付け、再定義したもので、ドン ペリニヨンとシェフ、ソムリエのコミュニティとして存在しているのだそうだ。この程、庄司夏子シェフがソサイエティに加入し、特別なディナーイベントの開催などもあって、ドン ペリニヨンから醸造最高責任者 ヴァンサン・シャプロンさんが来日したので「ドン ペリニヨン ソサエティ」をあらためてメディアにも紹介したい、ということになった。

庄司夏子さんは以前からドン ペリニヨンとのコラボレーション実績があるので、このソサエティなるものへの加入も当然の流れか、と考えていたのだけれど、実際にお話を聞いてみると驚くほどのドン ペリニヨン ファン……というかマニアだった。

「中学生の頃から料理に打ち込んでいて、オリジナリティとは何かをずっと考えていたんです。そしてドン ペリニヨンにはそれがあるのではないか、と興味を持っていました」

コレクションも相当なもので、聞いた話を統合すると20世紀の終盤あたりからのドン ペリニヨンは一通り、所持経験があるよう。ドン ペリニヨンは満足のいくブドウが収穫された年だけ造られるので、庄司さんの生まれ年である1989年ヴィンテージのドン ペリニヨンが存在しないという事実にこちらが申し訳なくおもうほど、ドン ペリニヨンをフォローし続けている。大先輩に尊敬の念を抱きつつ、ドン ペリニヨンの魅力をうかがうと、オリジナリティに加えて「必ず1%は含まれている修道院イズム」だそうだ。

残念ながら私にはその1%を感じ取ることができないけれど、冒頭に言ったような求道的な精神だろうか? と考えた次第。 庄司さんの隣のヴァンサン・シャプロンさんがちょっとヒントになりそうなことを話してくれた。

「修道士ドン・ペリニヨンの所属したオーヴィレール修道院はひとつのコミュニティであり、ベネディクト派の修道士ひとりひとりの個性を尊重しつつ共に生きる組織だった。ドン ペリニヨン ソサイエティはこの精神を受け継いで、シェフ、ソムリエ、ワインメーカーが個々を尊重しながら刺激を受けあって先に進むものだ」

つまりドン ペリニヨンと料理との相性を追求するけれど、それが目的ではなく、それによってお互いに高めあっていくことを目的とした組織なのだそうだ。

カリスマティックな泡

この時、用意されていたドン ペリニヨンは2015年ヴィンテージ。現状ではこれが最新のドン ペリニヨンとなる。

ドン ペリニヨン ヴィンテージ 2015

私の理解では2015年のシャンパーニュ地方は夏が暑く、乾燥していたことを受けて、リリースされるシャンパーニュも全般的にカラフルで明るい印象がある。そのなかでドン ペリニヨンは例外的で、ピンと張り詰めた緊張感と、静謐といった印象を受け、衝撃を受けたことを口にすると……

「それがドン ペリニヨンです」

とシャプロンさん。どうやら私は当たり前のことを口にしたらしい。

「ポジティブなテンション(緊張)。相互に補完的な要素のコントラストが構築するハーモニー。活発なエネルギーを生み出すのにもテンションは必要だ。カメラ・オブスクラのように……」

カメラ・オブスクラというのはラテン語で「暗い部屋」という意味で、現代のカメラの原型のひとつ、ピンホール・カメラのことを特に指す。

「強いはっきりとした光によって生まれる白があれば、同時に黒も深くなる。そういうコントラストを生み出すのが、まずシャルドネとピノ・ノワールの間のテンション、そして成熟と若さの間のテンション、まろやかさとシャープネスのテンション……2015年にはそれがある。確かに、一般的に言えば2015年は暑く乾燥した年だった。しかし、シャンパーニュ地方はわずか100mしか違わない畑で、雨の降り方、日照、土壌の保水性、さまざまな条件が異なる。私たちはそのなかから望んだブドウを選ぶことができる」

そこからシャプロンさんは自然は人間がそう簡単に理解できるものではない、という。

「私たちはラショナル(合理的)になりすぎているのではないだろうか? 自然はもっとフィジカルでアーティスティックなものだ。私たちにはマインドと同様に肉体がある。体も賢い。本能とか反応とかいったものを信じていい。私にとって自然は複雑でミステリアスだ。知れば知るほどわからなくなる。ドン ペリニヨンはそういう自然を表現しようとしている」

そこから、「ナツコは自然に触れ、そのミステリーに触れているのだと感じる」と言う。

「ワインと食の調和と言うと味覚や香りを考えがちだが、私は触覚の役割を重視している。人間が生まれてはじめて世界を理解するのは触覚を通じてではないだろうか? それに17世紀、18世紀のフランスでワインを表現する言葉はシルクとかベルベットとかレザーとか、触覚にまつわる言葉で「テイスティング」ではなく「ワインのタッチ」と言っていた。私は、触覚によって人間は自然と接続できるのではないかと考えている」

これに庄司さんは同調して

「私も料理のテクスチャは一番、大事にしているんです。今回、ヴァンサンさんの説明をうかがって、もちろん、ドン ペリニヨンのイメージは自分のなかにあるんですけれど、この肌触りというところは印象的で、シンパシーと感銘を受けました」

ヴァンサン・シャプロンさんは庄司夏子さんの代表作マンゴータルトの触覚(舌触り)に注目する。庄司夏子さんは24歳でオープンしたパティスリー「Fleurs d'été」でこのタルトが注目を集め、翌年、1日1組限定のレストラン「été」をオープン。現在もこの2店舗のオーナーシェフを務める

今回のドン ペリニヨン 2015については

「泡が印象的でした。私はシャンパーニュの第一印象を決めるものは泡だとおもっていて、見た目にも香りにも舌触りにも泡は影響しますよね。だからあんまりエキサイトしているようなシャンパーニュの場合は、一旦落ち着かせたりするんですが、2015年のドン ペリニヨンはこれが理想的。それで泡がカリスマという話になって……」

泡がカリスマというのは、庄司さんとシャプロンさんとの話のなかで出てきた表現だそうで

「カリスマも理屈では表現できないものだ」

とシャプロンさん。確かに、カリスマというのが具体的にどういうものかは言語化できないし、こうすればカリスマになれる、という方法論もおそらくない。しかし、カリスマを前にすればそれがカリスマであることは瞬時に分かる。

そして話題は再び、触覚によって自然に接続する、というところに戻っていって

「ラグジュアリーはいま、どんどん自然に近くなっていっているとおもう。利便性において優れていること、心地よいことがラグジュアリーの要因として高く評価されることもあったが。そしてドン ペリニヨンは自然がくれるものからしか造れない。最高のラグジュアリーは自然がくれる」

言葉や理屈ではなく、シャプロンさんはワインによって、庄司さんは料理によって、自然にアプローチしているということなのだろう。

庄司さんはいま、広島県の江田島で、オリーブ農家とともにオリーブオイルづくりをしているという話をしてくれた。これは耕作放棄地の問題、農業の継承問題の解決なども含んだプロジェクトなのだそうだ。そして、庄司さんはここで、様々な個性をもったオリーブから理想のオリーブオイルをつくるために、オリーブオイルのブレンドをしているという。それを聞いて

「ほら!僕と一緒じゃないか」

とシャプロンさんは破顔する。

なるほど、こうして江田島のオリーブオイルとドン ペリニヨンの出会いが起こる。これが、価値観を共有するソサエティの構成員が、個々を尊重しながら刺激を受けあって先に進むということのようだ。