撮影:榊水麗
クボタの歩みを追ってみると、10年ごとに訪れる「周年」を好機に捉え、社名変更や企業ロゴ刷新を含む自社変革を進めていることがうかがえる。「創業何周年」を企業の次なる段階への移行に利用できることを、クボタの足跡は示している。ロゴに反映される同社の変革の軌跡を、KESG推進部部長の猪野陽一氏と共にたどった。
水道鉄管から始まるクボタのマーク
クボタの創業は1890(明治23)年。備後国因ノ島大浜村(現・広島県尾道市因島大浜町)出身の大出権四郎(1870~1959年)が、大阪市南区御蔵跡町(現・中央区日本橋)で「大出鋳物」を営み始めたのに端を発する。古長屋の一隅を年8円で借りての創業だった。だが、火を扱う仕事で立ち退きを求められ、移転先で火事を起こしてまた追い立てられと、多難の出発だったようだ。
外注先からの紹介で、権四郎はマッチ製造機を作る久保田燐寸機械製造所に出入りするようになり、経営者の久保田藤四郎夫婦に大いに気に入られる。後継ぎとして懇願されて養子入りし、久保田姓となった。1897(明治30)年6月、「大出鋳物」から「久保田鉄工所」に看板を変えたのである。
当時の事業はどういったものだったか。クボタKESG推進部部長の猪野陽一氏は、「当時はコレラの流行に見られるように、安心、安全な水を得るのが難しい時代でした。輸入が主流だった水道鉄管を、国産で量産化したのが当社の最初期の事業でした」と話す。






