謎多き『紫式部日記』

13世紀に描かれた国宝『紫式部日記絵巻』五島美術館蔵 寛弘5年(1008年)11月1日に土御門殿で催された敦成親王(後の後一条天皇)誕生後の「五十日の祝い」の宴席場面

 年次不明の断続的記事の次には、寛弘7年(1010)正月1日の、敦成親王と彼の一歳年下の同母弟・敦良親王(のちの後朱雀天皇)の、戴餅の儀の記事が置かれる。

『紫式部日記』には、敦成親王誕生は詳しく記されているが、敦良親王誕生に関しては何も記されていない。その理由も不明である。

 そして、同月2日の記事を経て、同月15日に行なわれた、敦良親王の華やかな五十日の儀の記事で、『紫式部日記』は幕を閉じる。

 これで完結なのか、中断、あるいは欠けているのか、確かな答は出ていない(以上、宮崎莊平『新版 紫式部日記 全訳注』)。

『紫式部日記』は、道長の依頼によって書かれた「公的な記録」とみる説があるが、整然と書かれているとは言い切れず、私的な記録でしかないとの見方もあるという(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』所収 服藤早苗「第三章 藤原彰子――紫式部が教育した主」)。

 冒頭部が欠落しているともいわれる。

 多くの謎をもつ『紫式部日記』。

 その謎は、ドラマで解き明かされるだろうか。