青春時代に憧れつつも、どうしても手が届かなかったアノ名品だって、いまなら手が届く…いや、むしろいまだからこそ手を伸ばす価値がある! 自分と等しく年月を重ね、“次代のヴィンテージ”と目されるに至った、ファッション界の人類遺産たちに、いま改めてスポットを当てる。

写真=丸益功紀[BOIL] スタイリング=コダン 文=黒澤正人 編集=名知正登

芸術と職人技が同居する国が生む、「美が朽ちない服」

 安土桃山時代に生まれたとされる「伊達男」という言葉に「伊」の字が入っていたのは、偶然なのか、必然なのか……。いずれにしろ文明開化が極まった現代日本人の脳内には、すっかり「イタリア人=お洒落」というイメージが構築されている。

 とくにバブル期に青春を謳歌していた世代ならば、「一にも二にもイタリア!」の時期を通った服好きも少なくないはずだ。かの有名な「3G(ジャンフランコ・フェレ、ジャンニ・ヴェルサーチ、ジョルジオ・アルマーニ)はもとより、それより後年に名を馳せたドルチェ&ガッバーナなんかも、今を生きるブランドにも関わらず、最近では過去のアーカイブがヴィンテージとしての価値を帯び始めている。

 それぞれキャラクターはまったく異なるけれど、イタリアの雄たちが共通して“懐かしいのに、今も着たい”と評価され、ヴィンテージ化している要因は、ひとえに“不変の美しさ”と、“質の高さ”を両立させているからに他ならない。使い古された褒め言葉だけれど、本当だからしょうがない。

 そもそもイタリアは古くから職人が多く、手工業が盛んで、20世紀に入っても長らく英国の工場としての役割を担ってきた。第二次世界大戦が終結して復興が進むと、そこで培った職人技と、ルネサンス以降数百年にわたって磨き抜かれた芸術文化を融合した、良質かつ独創的なファッションブランドが数多く誕生することとなった。

 資本主義マインドが加速し、ファッションの分野においても大量生産が正義とされた時代を経てもなお、イタリアの工場の多くは、量より質という姿勢をブラさなかった。もちろんすべての製品がイタリア製を貫いているわけではないけれど、職人技と芸術が息づいた国のデザイナーズブランドは、昔も今も独自の美を追求し続けるかたわら、クオリティコントロールにも妥協しなかった。だからこそ、過去の製品がクラシックとみなされるほど時代が進んでもなお、ラグジュアリーなイメージを損ねない、ネオ・ヴィンテージを生み出すことになったのだろう。イタいオヤジにならないイタリアの服。今こそ袖を通すべき時かもしれない。