手元に置くことで心躍る逸品がある。それは類い稀なセンスを軸に、厳選の素材を用い丁寧に作られたもの。なかでも長年にわたり、世界から認められてきたブランドの名品に絞ってピックアップ。そのストーリーを深く知ることで、本当のラグジュアリーが見えてくる。

写真/青木和也 スタイリング/荒木義樹(The VOICE) 文/長谷川剛 編集/名知正登

ロックの掛け外しで自分らしくお洒落をクリエイト

 ファッションブランドにできることとは一体何か? もちろん、華やかなスタイリングにて着る人の気分を盛り上げることは、ファッションブランドに求められる大きな役割だろう。しかし女性という立場そのものを向上させることができるブランドとなると数少ない。

 歴史と実績がしっかり確立され、世に認められた名門でなければ、その理想を達成させることはできない。もちろんブランドを預かるデザイナーがその意志を持ち続けることも大前提。イタリアのフェンディこそは国境や人種、そして性別を超えて人々の心を動かし続ける特別なメゾンなのである。

 フェンディのはじまりは1925年、イタリアはローマにてアデーレ・フェンディとエドアルド・フェンディによるバッグとファーの専門工房がそのオリジン。作り出す製品のクオリティの高さや顧客の心をつかむコラボなどを次々と生み出したフェンディは、着実に世界的なブランドへの道を歩んだ。1965年には天才デザイナーであるカール・ラガーフェルドを事業に加え、時代を先取るモードブランドへとシフトしていく。

 節目となるのはフェンディ家三代目であるシルヴィア・フェンディがメゾンに加わったときのこと。カール・ラガーフェルドのアシスタントを務めるなか自ら才能を開花させた三代目は、1994年にはレザーグッズ責任者の地位を得る。

2012春夏ミラノコレクションのショー終わりに姿を見せたカール・ラガーフェルド(左)とシルヴィア・フェンディ(右) 写真=CAMERA PRESS/アフロ

 名作バッグ「ピーカブー」を世に送り出したのはその5年後。また、それ以前の1997年にも、すでにシルヴィアは伝説的な傑作鞄「バゲット」を打ち出すなど、バッグ作りにおける特別な才を発揮していたのだ。そしてこれらのバッグは社会進出を目指す女性に受け入れられ、アイコンとして世界に広まっていくのである。

 1981年の国連による女子差別撤廃条約の発効は、確かに追い風だったが、それはきっかけのひとつにすぎない。フェンディ創業者のアデーレには5人の娘がおり、1940年代という早い時代からそれぞれ事業に参加させていくなど、フェンディ家には女性の自立に積極的にコミットしていく気風があったのである。

2009年の春夏ミラノコレクションで「ピーカブー」が初登場 写真=REX/アフロ

 そんな広い視野と意識を持つバッグの異才が手掛けた「ピーカブー」。世界のセレブリティからも支持を受けており、ヨルダン王族のラーニア妃や俳優ジョージ・クルーニーの妻であるアマル・クルーニーも、「ピーカブー」の熱心な愛用者として知られている。

絶世の美女とうたわれる、中東ヨルダンのラーニア王妃も愛用 写真=Splash/アフロ

 入れ口にメタルのツイストロックを持ち、ロックを外し入れ口をオープンして見せることで、バッグ内面が露出し異なる表情が楽しめる独創的な名品バッグ。単純に物を持ち運ぶためだけではなく、強い個性は身に着けること自体がパワーとなり、結果その人の内面をも引き立てる。自分が変革するから、周囲までもが惹き付けられて動き出す。フェンディの「ピーカブー」は、可能性を広げる魅惑的なポテンシャルを秘めたアイテムと言えるのだ。