前を向くきっかけになった怪我
葛藤が続く中で、高校2年生で出場した国際大会「ババリアンオープン」では2位となり光明が見えたかと思えた。だがその翌シーズンである2019-2020シーズンの夏、左足首骨折の怪我に見舞われる。
その怪我は逆に前を向くきっかけになったという。
「手術することになり、今シーズンは試合に出場できないと分かったとき、もう今まで休めなかった分、思いっきり休もうと思いました。入院しているときに、来シーズンは一から頑張ろうと意外に前向きになっていて。怪我をしたからこそ振り切ったところがありました」
同シーズンを全休し、日本大学に入学した2020-2021シーズン、10月の東京都選手権で復帰し8位。11月の東日本選手権ではショートプログラム15位からフリー4位、総合8位となって全日本選手権出場を果たした。
だが、大学2年生となった2021-2022シーズン、「いちばんのどん底」と表現する苦しい出来事に直面する。全日本選手権のショートプログラムで30位の最下位に終わったのだ。フリーに進むことができなかったのは全日本選手権で初めてのことだった。
ショートプログラムはシーズンを通して安定していて、しかも調子が悪いわけでもなかったからなおさらショックは大きかった。時間をかけて考えた末、青木は1つの決断をする。長年スケートに打ち込んだクラブからの移籍だった。
「プレッシャーに負けてしまったというのが原因だと思うんですけど、変化のない生活に甘えているかな、それこそ自分には変化が必要だ、先生に甘えているところもたくさんあると思ったので、全日本が終わってから1カ月休んで、そこで判断しました」
指導を受けていた都築章一郎コーチに話をした。
「先生も全日本が終わった段階で覚悟していたみたいで、私の成長のためにと送り出してくださいました」
考え抜いて決めたこととはいえ、6歳から指導を受けてきた、長い時間を積み重ねてきたコーチのもとを離れることになる。
「先生との思い出がありすぎて、先生にいい景色を見せてあげたかったです。先生の前では冷静でいたんですけど、車に戻ったら泣いちゃって」
涙がそのときだけのものでないのは、振り返りながら語るその目が物語っていた。
成長することが恩返しになる。強い覚悟とともに移ったのは2021年に開校したMFアカデミーだった。
中庭健介コーチの指導は新鮮だった。
「ほんとうに具体的というか、ジャンプでもスケーティングでもそれこそ今まで欲しかったアドバイスをくださって」
さらにこう語る。
「上手い選手たちも集まっているのでふだんから刺激になりますし、自分も負けていられないなという気持ちにさせてくれる環境です」