臣下女性初の准三宮に

 道長の日記である『御堂関白記』には、倫子が道長とともに、内裏を行き来したり、寺社を参詣したり、遊びに出かけたりした、などの記載が頻繁にみられる。『御堂関白記』における倫子の登場回数は、300回を超える。

 倫子は娘の入内に付き従ったり、出産に立ち会ったりするなど娘をサポートし、秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』長和3年(1014)2月9条によれば、内裏が火災した際に、牛車に乗って駆けつけたりもしている。

 道長にとっては、頼りになるパートナーであったことだろう。

 倫子は、寛弘5年(1008)には従一位に叙され、長和5年(1016)には、道長とともに后に准ずる准三宮となり、后と同じように年官・年爵・封戸などの経済特権を得ている。

 臣下女性が准参宮とされたのは、倫子が初めてであった(服藤早苗 高松百花 編著『藤原道長を創った女たち―〈望月の世〉を読み直す』 第四章 東海林亜矢子「正妻源倫子 ◎妻として、母として、同志として」)。

 

御幸ひ極めさせたまひにたる

『栄花物語』巻第八「はつはな」では、45歳の倫子を、「大勢の子をお持ちだが、20歳くらいにみえる。小柄でふっくらとしており、とても愛らしい容姿で、髪も黒々しており気品が漂い美しい」と賛美している。

 道長も倫子を、「娘である姫君たちに劣らないほど、若々しい。なんといっても髪が美しい」と満足そうな笑みをたたえて、絶賛したことが綴れられている(『栄花物語① 新編日本古典文学集 31』校注/訳 秋山虔 山中裕 池田尚隆 福永進)。

『栄花物語』が事実を語っているとしたら、倫子と道長の夫婦仲は良好だったのではないだろうか。

 万寿4年(1027)、その道長と倫子は死に別れる。倫子、64歳のときのことである。

 道長が死去してからも、倫子は長い年月を生き続け、天喜元年(1053)6月に、90歳の長寿をまっとうした。

 歴史物語である『大鏡』第五巻「太政大臣道長」では、倫子を「御幸ひ極めさせたまひにたる(幸せを極めた)」と称している。

 現在のところドラマの道長は、まひろ(紫式部)に心を寄せているが、今後、倫子に対しては、どのような感情を抱いていくのだろうか。

 できるならドラマの倫子も、幸せを極めたといわれる人生を送って欲しいと、願うばかりである。