文=鷹橋 忍 写真=フォトライブラリー

八条宮家(後の桂宮家)の別荘として造営された桂離宮は、藤原道長の桂山荘の故地で、『源氏物語』松風の巻にみえる「桂殿」のモデルになったと伝えられる

 今回は、大河ドラマ『光る君へ』において、吉高由里子演じる紫式部ともに、もう一人の主役ともいうべき、柄本佑演じる藤原道長の半生を取り上げたい。

 

道長の両親は?

 藤原道長は、康保3年(966)に生まれた。

 紫式部の生年は、天禄元年(970)、天延元年(973)年、天元元年(978)など諸説あるが、仮に天延元年生まれとして計算すると、道長の方が7歳年長である。

 父は、段田安則が演じる藤原兼家(929~990)だ。道長誕生時は、従四位下左京大夫で、まだ公卿ではなかった。

 母は、摂津守藤原中正の娘である、三石琴乃が演じる時姫(生年不詳~980)だ。兼家には何人もの妻妾がいたが(山中裕『藤原道長』)、時姫は兼家の嫡妻だった。

 時姫は、天元3年(980)正月、道長が数えで15歳のときに亡くなっている。

 

異母兄の母は、『蜻蛉日記』の筆者

 道長は、兼家の五男で(時姫が産んだ子としては三男)である。

 同母の兄に、井浦新が演じる藤原道隆(953~995)と、玉置玲央が演じる藤原道兼(961~995)が、同母の姉に吉田羊が演じる藤原詮子(962~1001)と、安和元年(968)に冷泉天皇(950~1011 在位967~969)の女御となる藤原超子(生年不詳~982)がいた。

 他にも、上地雄輔演じる藤原道綱(955~1020)と藤原道義という異母兄が二人と、木村達成演じる居貞親王(後の三条天皇/冷泉天皇と藤原超子の子)の妃となる藤原綏子(974~1004)という異母妹がいた。

 なお、異母兄・道綱の母は、『蜻蛉日記』(藤原兼家との結婚生活などを綴った21年間の記録)の筆者として知られる。

 道長の誕生時の主な家族の年齢(数え年)を挙げると、父・兼家は38歳、同母兄の道隆は14歳、道兼は6歳。同母姉の詮子は5歳、異母兄の道綱は12歳であった。