天皇の外戚に
道長の父・藤原兼家は、4歳年上の次兄・藤原兼通(925~977)よりもはじめ官位が上であったが、坂東巳之助演じる円融天皇(959~991 在位969~984)の摂政であった長兄の藤原伊尹(924~972)が死去すると、兼通が関白となった。
貞元2年(977)、兼通は橋爪淳演じる藤原頼忠(924~989)を関白とし、兼家を治部卿に左遷して、亡くなった。
摂関の地位から遠ざけられた兼家だったが、兼通の没後、ドラマでも描かれたように、貞元3年(978)8月に娘の藤原詮子を円融天皇の女御として入内させ、10月には右大臣に任じられた。
詮子は天元3年(980)6月に、円融天皇の唯一の子となる皇子懐仁を産んだ。のちの一条天皇(980~1011 在位986~1011)である。
永観2年(984)、円融天皇は退位し、本郷奏多が演じる花山天皇(冷泉の皇子/968~1008 在位984~986)が17歳で即位。円融天皇と藤原詮子の子である皇子懐仁が、皇太子に立てられた。
この花山天皇は、寛和2年(986)6月、突然に出家・退位する。
代わって懐仁親王が7歳で即位し、一条天皇となり、天皇外祖父となった兼家は、摂政に任じられた。
道長、19歳のときのことである。
摂政となった兼家は一族の地位の向上に邁進し、道長も天皇の外戚として、急速に昇進していった。
嫡妻・源倫子とは、母親に気に入られたおかげで結婚できた?
道長は永延元年(987)12月16日に(『台記別記』久安4年7月3日条など)、黒木華が演じる源倫子(964~1053)と結婚した。道長は22歳、道長より2歳年長の倫子は24歳だった。
倫子の父は、益岡徹が演じる左大臣源雅信(920~993)、母は中納言藤原朝忠の娘・藤原穆子(931~1016)。
曾祖父は宇多天皇(867~931 在位887~897)、曾祖母は醍醐天皇(885~930 在位897~930)の生母・藤原胤子(生年不詳~896)という貴種の家系であり、藤原兼家の五男で、このとき従三位左京大夫であった道長より格上だった。
宮廷貴族社会の歴史を編年体で叙述した歴史物語『栄花物語』の「さまざまの悦び」(『日本古典全集 基本版 第5』所収)によれば、倫子の父・源雅信は、道長を婿とすることに猛反対していたが、倫子の母・藤原穆子は道長を「なかなかの人物」と評価し、雅信の反対を押し切る形で、二人の結婚を進めたことが記されている。
だが、なぜ、道長が倫子と結婚できたのかは、あきらかではないという(倉本一宏『紫式部と藤原道長』)。
倫子は二男四女の子を出産している。