未曾有の「一家三后」
道長は結婚してからしばらくの間、倫子や源雅信と穆子、同母妹らが住む「土御門殿」に通っていたようである。
だが、まもなく倫子の両親と同母妹は一条殿に本宅を移し、土御門殿には道長・倫子夫妻と、二人の間に誕生した子どもたちが居住した。
倫子は多産で、結婚の翌年である永延2年(988)に、見上愛が演じる長女の彰子、正暦3年(992)に渡邊圭祐が演じる長男の頼通、正暦5年(994)に妍子、長徳2年(996)に教通、長保元年(999)に威子、寛弘4年(1007)には、44歳で最後の子となる嬉子を出産している。
倫子の産んだ男子は、2人とも関白に就任した。
女子4人のうち、紫式部が仕えることになる彰子は一条天皇の中宮に、妍子は三条天皇の中宮に、威子は後一条天皇(一条天皇と彰子の子)の中宮となった。
四女の嬉子は敦良親王(のちの後朱雀天皇)と婚姻し、親仁親王(のちの後冷泉天皇)を産んだが、出産の2日後に19歳で亡くなっている。
寛仁2年(1018)に威子が中宮に立后された際に、彰子は太皇太后、妍子が皇太后であったため、三后を道長と倫子の娘が占める、未曾有の「一家三后」を成し遂げている。
道長が、
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
(この世を、我が世と思う。望月(満月)が欠けることもないと思うから)
という、かの有名な「望月の歌」を詠んだのは、威子の立后の儀式が終わったあとに催された、土御門第での酒宴の席である。