表現が変革したきっかけは《ラオコーン》の発掘
《ピエタ》と《ダヴィデ》の成功によって名を馳せたミケランジェロには、以後、多くの注文が来るようになります。
ミケランジェロの彫刻制作は、少し変わっていました。多くの彫刻家は四方から彫っていくのですが、ミケランジェロは一方から彫っていきました。あたかもどう彫っていいかわかっているかのように迷いなく彫り進めます。「中に閉じ込められたものを救い出す」とよく言っていたそうです。
ただし、ミケランジェロの多くの作品は、「アンフィニート」といわれる、未完成のまま終わっています。フィレンツェの大聖堂造営局が注文した十二使徒像の場合、未完成の《聖マタイ》(1503-04年)が一体残っているだけです。
ただ、これを見ると一方から彫っていることがよくわかります。鑿の跡も残っていて、石にまだ半分体が閉じ込められているようなマタイは、未完成ではありますが活力に満ちていて、とても魅力のある作品だと思います。
そして1506年、ミケランジェロの彫刻に大きな変化がもたらされます。ローマのネロ帝の宮殿跡で古代ローマ時代の彫像《ラオコーン》(制作年不詳)が発見されたのです。ミケランジェロは発掘現場に行って立ち会い、「芸術の奇跡」と感嘆したといいます。当時の芸術家たちはみな大きな衝撃を受けますが、とくにミケランジェロにとっては、その後の作品に多大な影響を与える強烈な出来事でした。
ラオコーンはギリシャ神話のトロイア戦争の物語において、城内に木馬を入れることに反対した祭司の名前です。トロイアを滅ぼそうとする神々の反感を買い、ラオコーンは大蛇にふたりの息子ともども絞め殺されてしまいます。彫像はまさにこの場面で、大蛇に巻きつかれたラオコーンの筋肉質の巨体は捻れ、苦悩の表情をしています。
ヘレニズム美術の最高傑作と謳われるこの彫像の発見以降、ミケランジェロの彫刻にも「セルペンティナータ(蛇のような螺旋状)」と表現される捻れた体や、さらに筋肉隆々の表現への変革がみられます。
《ラオコーン》をお手本に古代の伝統を吸収しながら、次の世代につながっていく動きやゆがみ、そして強いエネルギーを見事に具現化していったのでした。また、《ピエタ》や《ダヴィデ》は大理石のつるつるとした肌感ですが、以降の作品になるほど、表現主義のような傾向がみられます。