3つのピエタにみる変遷

 ミケランジェロの彫刻作品の変遷がよくわかる例が《ピエタ》です。先に紹介した出世作となったサン・ピエトロ大聖堂の《ピエタ》(1499年)は、聖母マリアが美しすぎる、若すぎると批判されますが、マリアはいつも美しき理想の女性に上書きされるので、あえて若くしたのだとミケランジェロは反論しました。マリアとイエス・キリストは、ほんとうに美しい人間の最高の形をしていると思います。

 このほかにミケランジェロは2体のピエタをつくっています。《パレストリーナのピエタ》(制作年不詳)という作品も長年ミケランジェロによるものとされてきましたが、近年は関与があったとしても荒削り段階までだろうとされているので、ここでは触れません。

《ドゥオーモのピエタ》1550年頃 高さ226cm 大理石 フィレンツェ、ドゥオーモ付属美術館

《ドゥオーモのピエタ》(1550年頃)は、自分が埋葬される教会に献呈するために作り始めたものですが、イエス・キリストの左足と片腕、聖母マリアの手の部分を壊してしまいます。これを愛弟子のウルビーノに与え、その後ティベリオ・カルカーニが修復しました。

 普通キリストは、マリアの膝の上に横になって乗っているのですが、ここではくずおれそうなキリストをマリアが支えています。後ろにいるのはキリストを十字架から下ろすのを手伝ったニコデモで、ミケランジェロの自画像といわれています。伝統的なピエタに、サン・ピエトロ大聖堂のものとはまた違う、新たな解釈と構図の作品です。

《ロンダニーニのピエタ》1559年頃-64年 高さ195cm 大理石 ミラノ、スフォルツァ城美術館

《ロンダニーニのピエタ》(1559年頃-64年)はミケランジェロの遺作です。高齢のミケランジェロが最後まで鑿を振るっていたこの作品は、絶筆ではないですけれど絶鑿の跡も残っていて、完成していないように見えます。24歳のときにつくった《ピエタ》のつるつるした美しい若いマリアに比べると、顔の表情も不明瞭でふたりの体が溶け合っているような抽象的なものに変貌しています。これはもうルネサンスの作品ではなくて、あたかも現代彫刻のようです。

《ロンダニーニのピエタ》を見て、死を前にしてミケランジェロが行き着いたのがここなのかと思うと、とても感慨深いものがあります。

 

参考文献:『神のごときミケランジェロ』池上英洋/著(新潮社)、アート・ビギナーズ・コレクション『もっと知りたいミケランジェロ 生涯と作品』池上英洋/著(東京美術)『システィーナ礼拝堂を読む』越川倫明・松浦弘明・甲斐教行・深田麻里亜/著、『ルネサンス 天才の素顔 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ 三巨匠の生涯』池上英洋/著(美術出版)、『レオナルド・ダ・ヴィンチ 生涯と芸術のすべて』(筑摩書房) 他